ヘカティ・ブラボー!>>>3










 オレは夢の中で飛び上がって喜んでいた。多分、ひとつきほど頑張って出来なかった出題がようやく解けたかなんかだ。なんでこんなことが判らなかったんだろうと思うくらい簡単なことだった。エドは考えすぎなんだよと言って師匠が頭を撫でてくれた。師匠に褒められた。暖かかった。早くから答えを判っているアルフォンスが横から答えそのものを言わないようにずっとヒントをくれていたのだ。アルフォンスは良かったね、兄さん、とはしゃぐ。
 おまえ、なんでオレより嬉しそうなんだよ。
 だって、兄さんが嬉しいとボクも嬉しいよ。
 なんだよ、オレよりずっと前から答えわかってたくせに!
 そんなこと言わないでよ。一緒に考えたし、一緒に答えも解けたじゃないか。
 喧嘩になる前に、師匠がにこにこしながらオレたちの真上で水の入ったバケツをばしゃーん、とひっくり返して、さあごはんにしようと言った。
 それが照れ隠しだと、たぶん師匠もアルも判ってたんだ。






 オレが身動きをすると、オレの頭の上に載せられていた何かが下へずり落ちた。氷嚢だった。正確には頭の上でなくて目の上で、バケツの水ではなく氷が頬に当たる冷たさで目が覚めたのだった。
「……………起きた?」
 オレを覗き込んだのはアルフォンスだった。オレはその顔にひどく安堵して、長いこと留守にしていた故郷に帰ってきたような気分になった。目の前のアルフォンスはなぜだか、この上もなく幸せそうに笑っている。
「おはよう。っていうか、もう夕方なんだけどね」
「……………………」
 マジで? 夕方? とか、何これ、と氷嚢を指差して言おうと思ったが、驚いたことに声が掠れて出ないうえに、指もさせなかった。口をぱくぱくとさせるだけのオレに、アルフォンスは途端に眉を歪ませた。
「ごめん、声、出ないんだね。ごめんね」
 ………………寝る前のことは覚えている。正確には寝たのではなく失神したということも。
 アルフォンスはオレの体を毛布ごと包み込むようにして横になっていた。包み込むというより抱き締めるというか、むしろ拘束しているといっていいほどの抱きつきっぷりだった。ずっとこの体勢だったのだろうか。というか、オレの枕と思っていたものはこいつの腕だった。痺れないんだろうか。
 けほけほ、と咳が出て、アルフォンスは慌てて(ようやく!)オレの体から腕を解き、そばのテーブルによっ、と手を伸ばして水の入ったコップを取った。
 うわ、水。ものすごく欲しい。
 オレは身を起こそうとしたが、全然身体に力が入らない。ほんの少し身じろぎしただけで、下半身に鈍痛が走る。
「………………、」
 オレが顔を顰めると、その様子を見てアルフォンスは躊躇いもせずコップの水を呷った。
 てめー自分だけ!
 抗議しようと口を開くと、アルフォンスは身をかがめ、オレの唇に唇を落とした。
 水。水。
 オレは渇き切っているというのにアルフォンスは少しずつしか唇を開いてくれなくて、必死でアルフォンスの唇を吸った。すべてなくなると、アルフォンスは身を起こし、またコップの水を含んでくちづけを落とす。
「ん……」
「………っ、ぷは」
 水がなくなっても吸い付いてくるアルフォンスを、首を振って追っ払う。アルフォンスは不満げに口を離して、触れ合いそうな距離からオレの顔を眺め、うっとりと頬をなぞった。
「……てめ、わざとだろ」
「ちがうよ。一気に流し込んだら器官に入るだろ」
「いやわざとだ、おまえはそういうヤツだ」
「じゃあ、もうそれでいいよ」
 言うなりアルフォンスはまたも唇をあわせた。逃げられないオレは甘んじてキスを受ける。甘ったるく、ねちっこく、夢見るようにアルフォンスはキスをする。
「……………はぁっ」
 溜息が零れる。暖かいし、熱っぽいし、妙な気分になる。このままでいたい、と思った瞬間、アルフォンスが盛大に溜息をつき、やおらがばっと抱き締めてきた。
「ちょ、……おい」
「…………………」
 アルフォンスはそのまま動かない。やがてぼそりと言った。
「離れたくない。このままでいたい。一生」
「………アホか。つーかむちゃくちゃ腹減った。腰が痛いケツが痛い背中痛い。超ダルい。水足りない」
「全部ボクのせい?」
「ああそうだ、良く判ってるな。兄貴は大変だ」
「兄さん、昨日何回イッた?」
「………っ」
 ぼうっ、と頬に火がついた。言葉を発せない自分がひどくみっともない。
 無言のままのオレの髪の毛を漉きつつ、アルフォンスは甘えるように切々と尋ねた。
「ねぇ兄さん、どこが一番感じた? どこが一番、もっとしてほしいって思った? ボクもっと兄さんを堪能したかったんだけど、自分のことも手一杯で……ほんとはもっともっと兄さんをイかせた……いったーーーーーーーー!!!!!」
 すぐそばの無防備な耳を思いっ切り噛んでやると、アルフォンスは悲鳴を上げて飛びあがった。ざまあみろ、とオレは真っ赤であろう顔を横に向けて目を瞑った。
「〜〜〜〜〜っっ、もうっ、何するんだよ! あだだ……うわっ歯型ついた」
「てめーがアホなこと言うからだ」
「アホじゃないよ。聞いてよ。ボクほんっとーに、幸せだったんだから!」
 オレの顔を覗き込んでいるのが気配で判った。オレはしばらく目を瞑っていたが、アルフォンスがまったく動じないのを知って、仕方なく目を開けた。アルフォンスは微笑を浮かべている。
「ちゃんと聞いてくれる?」
「…………………」
「……最高だった。今すぐ死んでもいいって思った。ボク何回イッちゃったか判んない……兄さん…可愛くて…綺麗で…めちゃくちゃ感じてくれて…サイコーに気持ち良くって……もうボクこのまま死んじゃうかと……ああもうっ……!」
 アルフォンスは首を振り、毛布の中からオレの手を探してそっと引っ張り出し、くちづけた。
「もう……メロメロです……」
 はぁ〜っ、と溜息をついて、オレの手のひらを額に当てて俯いた。
「…………………」
「……………………」
「………そ、そりゃ………良かった……な」
 アルフォンスが顔を上げてオレを見た。オレはきっと、むずがゆいのを必死で堪えている顔をしている。アルフォンスの表情が泣き笑いのかたちに歪んだ。
「どうしよう。ボク、こんなに兄さんに愛されてていいの?」
「うるせぇな。聞くな」
「………………」
 アルフォンスは目を瞬かせて、また溜息をついて、聞くなって何それ、可愛すぎる……と言ってソファに顔を埋めた。それからふいに握った手に力を込めた。
「どうしよう……」
「……なんだよ」
「むちゃくちゃ悔しい。こんな……こんな幸せなのに……最初に兄さんを抱いた時のこと、覚えてないなんて」
「やってる時、思い出さなかった?」
「なんか……良く判んなかった。いっぱいいっぱいで、その……兄さんのからだとか見て…触って…声とか聞いたりしたらもう…」
 俯いたままのアルフォンスに、こういうところが可愛いのだと、オレは内心笑みが零れる。
「まあ、しょうがねえわな。そういうもんだ」
「ねぇ……その……ごめんなさい、聞いてもいい?」
「なにを」
「……兄さんはどうして抵抗しなかったの?」
「したっつーの。おまえの馬鹿力に適うワケねーだろ」
「でも……兄さんは、本当に嫌ならどんな手段を使っても逃げ出せるはずなのに」
「……………良く判ってんな、おまえ」
 アルフォンスが顔を上げた。オレは微笑んだ。
「おまえだからいいと思ったんだろうな」
「……ボクだから、抱かれてもいいって?」
「まあ、むしろ、させてやりたかった、っつーか」
 ぽろっと本音が出て、オレは最後の言葉の口の開き方のまま少し固まってしまった。アルフォンスも固まっている。いかん、落ち着け、オレが言いたかったのはそこじゃない。
「いや、つうか、オレもビックリなんだけど。おまえ、オレがおまえに恋愛感情持ってくれねーとセックスしたくねぇっつってただろ。何の容赦も躊躇いもなかったぞ二回目のアレは」
「え………え………だって………だって、その、………もうやっちゃったんだから開き直るしかないっていうか……やんなきゃどうしようもない状況だったっていうか兄さんが……」
「オレのせいだっつーのか?!」
「え?! いやあの、悪い意味じゃなくて! 覚悟決めて、兄さんのこと思う存分堪能しようって決心して、その、抱き締めたら……」
 アルフォンスは言葉を切って、考え考え、言った。思い出しているのだろう。
「兄さんの気持ちが流れ込んできた。兄さんのことばとか、体温とか、全部全部くらくらした。今まで何を頑なにそれを否定してたのかなって、今思った…こんなに、ボクのこと、求めてくれてたのに、何をこだわってたのかな、って…………うん、なんかほんと……今判ったっていうか…………あーーー!! もう!! こんなことなら、最初から、ほんと生身の身体に戻った直ぐ後にでも本能のまま襲っちゃえば良かったんだよ……! ばかばかボクのばか……! 自分が馬鹿すぎて笑えない……!」
「……本人を目の前にして言うなっつーの……まあでもオレも開き直ったしこれで。お互い様じゃね?」
「開き直った……?」
「オレはときどきそういう意味でおまえに欲情する」
 それを聞いた途端、確認を求めるようにアルフォンスががばりとオレの顔に近づいた。オレは笑ってアルフォンスの顔に片手をついて押し退ける。
「恋のようだが恋ではない。単なる愛でもない。だがオレはおまえだからしたいと思うし、おまえに持つ感情を他の誰にも持ち合わせない。おまえだけなんだよ、アルフォンス。もういいや、それで」
「もういいや……………ですか……………」
 アルフォンスは押されながらもオレの言葉に頷き、納得してそっか、うん、と呟いている。
「あ、先に言っておくけどオレ、セックスって一年に一回くらいでいいと思ってるし」
「……は……?」
「いや、はじゃなくて。よろしく」
「いやよろしくって……ちょっ……ちょっと待って、今この流れで言うのそういう事?! 一年? 一年に一回って言った?! なんなのそれ本気?!」
「おまえ自分の兄貴がどーゆー状態か判って言ってる? マジで動けねーんだよ」
「な………慣れたら………」
「慣れるまでするほどオレはおまえに付き合えんぞ………」
「ちょっと待って……なんか泣きそうなんですけどボク……」
「いや、そういうおまえも可愛いとは思うけどこれだけはどーしよーもない。おまえ今までガマン出来たんだから出来るだろ」
「で……出来るわけないじゃん!」
 アルフォンスは悲痛な叫びをあげた。
「本当にそう思ってるの? 兄さん、兄さん、ボクがどれだけ幸せに浸ってるか判る? 兄さんの身体がどんっっっなに気持ち良かったか、微に入り細に渡り説明するよ?! こんなの忘れられない……我慢なんて出来ないよ……! ねぇお願い、せめて一週間に一度くらいは兄さんのこと…!!」
「あー……じゃあ、半年に一度で……」
「出来ない! 死ぬ! 干からびる」
「では干からびてくれ……」
「にーーーーさーーーーーーん………」
 アルフォンスは今にも死にそうな声を上げて突っ伏した。オレは飄々と嘯いた。
「一回もしない方が良かったか?」
「いえ…すいません…嘘です…ガマンします…ははは…何これ、前より蛇の生殺し……がくり」
「あ、酒飲んでわざと酔った振りして襲うのはナシな」
「い、言わなきゃ考え付かなかったのに………」
 オレは笑った。つい、月に一度は許してやってもいいかな、なんて思ったことは黙っておく。
「でもおまえがあそこまで酔っ払うとは思ってもみなかったなー……よっぽど詰まってたんだな」
「ええもうそりゃいろいろとね! 酒って恐ろしいね! もー二度と飲まない」
「酒は悪くねえだろ。悪いのはヘカティだ」
「ヘカティ? 神話の?」
「グラスをかちんとあわせてヘカティをやっつけてから飲まないと、悪酔いをさせて悪戯をする女神だ。オレはちゃんと乾杯しようとしたんだがおまえがそのまま一気飲みしてだな」
「………全然おぼえてない………」
「酒はたまに飲めよ。酔っ払うおまえは見ていておもしろい。さ、オレそろそろ起きてシャワー浴びたいんだけど、ちょっと手伝ってくれ」
「おもしろいって……え、起きるの? 一応綺麗に拭いておいたんだけど」
 アルフォンスは慌ててオレの背中に手を差し入れた。本当に身体全体に力がまったく入らず、マジでこんなのは一年に一回で十分だ…とかまた思ってみたりする。
 アルが支えてくれても無理だ、と悟った瞬間、とろり、と下半身から何かが濡れ出す感覚を覚えた。オレは動揺した。
「……っ」
 ぞくぞくぞくっ、と体中に痺れが走る。力が抜けて、アルフォンスの胸にもたれかかってしまう。下腹部に力が入ったせいで、更に溢れ出る。
「ぁ……ん」
 びくびくと身体が揺れる。アルの腕をぎゅうと掴み、アルの胸に髪の毛を擦り付けてオレは思わず仰け反った。ようやくその感覚が収まると、首を振って、それで一旦下ろせと伝える。アルフォンスはぎこちなく、それでも素直に支えた腕をゆっくりとソファに沈め、先ほどまでの定位置にオレを戻した。
「だ…………めだ。マジ………動けねぇ。なんか出るし」
「…………あ…………そ……………そう……………」
 アルフォンスのどもり具合が普通ではないので、少し荒くなった呼吸のままアルフォンスを見上げた。
 耳まで赤くなっている。
「にっ、兄さ…ん…」
「な……なんだ、どうしたんだよ」
「や…………………やらしすぎ…………………」
「は?」
「今自分がどんな顔してどんな声出してどんな行動取ったか判ってるの……? 信じらんない……うわ、」
 アルフォンスは慌ててその辺の服で下半身をがばっと覆った。
「へ? 何、おまえ……もしかして」
「兄さん……お願いだからもっと自覚持って。真剣に誘ってると思った」
「なっ……、お、おまえが中で出すから、それが……」
「……っっっ! わー! もう! そっそんな顔してそんなこと言わないでっ……っちょ、ごめ……、ほんと……勃つ……」
 アルフォンスは上気した顔で前屈みになり、身体を横に向けた。ぐ、と下半身をおさえつけて苦しそうに呼吸をしているアルフォンスの表情に、オレはなぜかどきりとした。
 ちょっと待て。オレの方が恥ずかしいじゃねぇか、と言い掛けて、アルの背中が目に入る。
「おい………おまえ、それ」
「な、何?」
 アルフォンスの背中は生々しい引っかき傷が赤々と出来ていて、オレは眉を顰めた。それからはっとして自分の指先を見ると、やっぱり。爪に何か赤いものがたまっている。
「ゲ………」
「あ……もしかして背中? 傷出来てる? 通りでヒリヒリすると」
「いや、っつーか、スゲー酷い。うわ……マジ悪ィ」
「謝らないで、気にしてないし……」
「つーかおまえ首んとこも……改めて見ると傷だらけ……」
「え、いいよそんなの。むしろこっちがごめん……そんなに痛かった?」
「え、あの、いや、別に」
 ちょっと収まったらしいアルフォンスに申し訳なさそうに言われ、オレは急に気恥ずかしくなった。はっきり言ってアルフォンスとの行為で痛みを感じたことなどほぼ無いに等しい。黙り込んだオレに、アルフォンスはそのままの姿勢で静かに言った。
「良かったの?」
 かあぁ、とみるみるうちに頬に血が上る。いいとか言うな。昨日の行為が急に鮮明に思い出され、ますます恥ずかしくなって目を瞑った。それを見てアルフォンスはまたも動きが止まり、あーもー、と叫んでつっぷした。
「何て顔するのさ……襲ってくれって言ってるよーなもんなんですけど……!」
「…………………」
「もうほんと一年に一回とかガマンできないから……もーどーしたらいいんだよー! うわーーん!」
「うるせぇウジウジ言ってんじゃねぇ! そのうちまたすぐ傷だらけにしてやるから覚悟しとけ」
「……………え?」



 アルフォンスが元気になって良かったなーとかのんきなことを思いつつオレは改めて思うんだ。
 どっから愛でどっから恋でとか考えていられる余裕があるなら、その分こいつと一緒に生きている喜びを噛み締めてりゃいい。
 今回の功労者、ヘカティに乾杯。




















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