ヘカティ・ブラボー!>>>1
気が付いたら、体中が奇妙に暖かかった。不思議に思ってまず顔をあげてみると、そこにはアルフォンスの顔が目の前にあった。至近距離だ。ぎょっとしたが良く見るとアルフォンスは瞼を閉じている。………寝ている。吐息が頬にかかる。暖かいのはアルフォンスに抱かれていて、お互いに裸だったからだ。とりあえずそろり、と身動きしてみると、体がぎしぎしと軋み、同時に下半身に鈍い痛みが走った。
………ああ、この感覚は。下腹部の異物感は。
オレはほんの少し身体を持ち上げて、そろそろと後ろに手を持っていく。そうだ。「何も」ない。これは、名残だ。………オレはこの感覚を良く知っている。
オレはアルフォンスに抱かれたのだ。
昨日のことがまざまざと思い出され、オレは体中の力を抜いて再びソファに沈んだ。またアルフォンスの顔が間近になる。良く寝ている。そういえばこんな近くで生身の寝顔は初めてってなくらい久々に見た。オレは感慨深く観察し、それから深呼吸をした。
(あー。やっちまったのか、オレ)
しばらく何も考えられずにぼうっとしていた。アルフォンスの呼吸は規則正しく、オレの無心状態に上手に沿っていた。さっき身体を動かした時も違和感がなかったが、アルフォンスは寝る前にちゃんと身体は拭いてくれていたらしい。首だけ持ち上げて周りを見渡すと、散らばったオレ達の服に混じってタオルがソファの下に落ちているのが見えた。酔ってたのに、そんなことまで忘れないのか。オレが昔、朝に起きたらパリパリして気持ち悪いと言ってからそれを怠ったことは無かった。何年も経ったのに忘れなかったアル。オレは思わず喉を鳴らした。
(起きないかな、コイツ)
アルフォンスは熟睡している。何せ普段飲まないヤツが葡萄酒をほとんどひとりで一本飲ん
だのだ。今日はまず二日酔いだろう。
オレはそういうことをなんとなく考えながら、そこから起き出そうとはしなかった。あんなことをされたあとだからなのだろうが、全身がだるい。指一本動かすのも、目を開けていることさえも億劫だ。
アルフォンスの腕の中が心地いい。暖かい。オレがここから起きなければいけない理由はなにひとつない。
何から何まで、昔と一緒だ。
(あー………なんかだるい。気持ちいい………)
オレは疲れていたのだ。またすぐに眠りについた。
がこん! と音がして目が覚めた。今度はぱっちりと目を開けられた。アルフォンスの上半身がソファからずり落ちている。ああ、オレ今寝返りを打ったからか。
アルフォンスは、うーん、あいててて、と言いながら手を付いてソファに上半身を戻した。
オレと、目が合った。
「おはよう、アルフォンス」
「んー………おはよ………」
ぼさぼさ頭のアルフォンスは寝ぼけ眼でそう返して、素っ裸で隣に寝ているオレを見た。
「…………?!」
一瞬ぎょっとして、それから自分も何も身に着けていないことに気付いて更に驚き、慌てて周りを見渡してそこらへんに散らばっていた服などを掻き集めてからだを隠した。が、その中に濡れタオルがあったらしく、その冷たさにひゃっ、と言って思わず投げ捨てる。オレがおもしろいなぁ、と思いながら見ていると、アルフォンスは、え、え、とまるで救いを求めるかのようにオレを見た。
「…………え…………と?????」
「あー、おまえ、とりあえず落ち着け」
言いながら身を起こそうとするが、無理だった。腰に力が入らない。思わず顔を顰めてまたソファに身を沈めると、思い切り動揺しているらしいアルフォンスはオレに向かって手を伸ばして、それでもオレに触れることは出来ないらしく、引き攣った声で言った。
「に……………さん、あの……………なにこれ、なんで裸………なんで一緒に」
「………ん。おまえ、昨日のこと覚えてる?」
「え、き……のう……昨日のこと……」
いま自分の置かれている状況があまりにも衝撃的であるので、アルフォンスは記憶を辿るのでも精一杯だ。
「きのう……べんきょう、煮詰まってて……兄さんがご飯呼びに来てくれて……」
「うん。で」
「あ………おさけ……飲んで」
「うん。飲んだなぁ、オレちょっと飲ませすぎたな。……それで?」
「それでって…いやあのボク…」
「覚えてねーの?」
「………。酔っ払いすぎて、お風呂にも入れなくて、兄さんが連れてってくれて入らせてくれて〜……服を着させるのも面倒で自分も濡れちゃって面倒くさくって裸のまま一緒に寝ちゃいました。……とか」
「いいところを付いているが不正解だ。風呂には入ってないしオレは脱がせてない。……が」
オレはいたずらっぽくアルフォンスを見上げた。
「面倒だから一緒に寝た、というのだけあってる」
「その、面倒だから、ってのだけあってるってゆうのが判らないんですが……」
アルフォンスはごくりを喉を鳴らした。
「…………………ボク、もしかして。………何か、兄さんに、……した?」
「しました」
「な…な…な…………………何を?」
オレは顔を伏せて、たっぷりと溜めた。それから、アルフォンスが弱いと知っている上目遣いで、じ、と見つめてやり、自分の腰に手を当てて見せて。
「痛かった………アルフォンスぅ………」
ぴしり。とアルフォンスの体中の血液が凍りついた音がした。そのまま動かない。オレは追い討ちをかけるように、両手で顔を覆って、声を震わせた。
「もう……オレ……どうしようかと……、アルが……アルが……っっ」
「…………っっっっっ!!!!!! ご…………ごめ…………ごめんなさ…………ごめんなさい、兄さん、兄さん、本当にごめんなさい、嘘みたい、なんで………ボク………こんな………っっっ」
真っ青になってガタガタと震え出すアルフォンスを、さすがにやりすぎたかとは思うがオレはもうおかしくておかしくて身を丸めて笑いを堪えていた。
「え……、な、何? 何がおかしいの? もしかして嘘なの?!」
「…っく……いやいや、嘘じゃねえよ。本当のことだ。っていうかおまえ、ほんとのほんとに何にも覚えてねえのか?」
「………………覚えて……ません、ほんとに………なんで……嘘みたい……っ、痛ぅ」
アルフォンスが首を動かすと、急に顔を顰めて首筋に手をやった。濡れた感覚にてのひらを見ると。
「ちっ………血?!!」
「ああ、それ……悪ィ、オレだ」
「えっ?! えっ?!」
「いや、その、な…………あんまり……その、アレだったもんで、つい」
アルフォンスに入ってこられた時、感極まって思わずアルの首に噛み付いてしまったのだ。思い出して、オレは頬を赤らめた。
「すまん。……いや……すまんじゃねーな。謝んねーぞオレは」
「って……ほん……とう、なんだ……ボク……」
アルフォンスは俯いて、しばらく動かなかった。それからはっとして、真剣にオレに向き直った。
「兄さん、どこか痛い? ボク無理させてない? 血とか……出てない? 触ってもいい?」
「ああ、大丈夫だ。……何泣きそうな顔してんだよ」
「どうしよう、兄さん。ボク本当に兄さんのこと、無理矢理……しちゃったんだよね……」
「そのことだけど、おまえ……本当に何も覚えてねーのかよ。酒飲んだとこまでは覚えてるか? 葡萄酒の銘柄とか」
「そ……そんなこと言った?」
「ええー……おまえもうそんなとこから記憶ねぇのか……」
ばかみたいに愛してると繰り返したアル。オレを決して傷付けないように繋がったアル。熱い腕で何度もオレを確かめるように抱き締めたアル。熱も肌も匂いも、オレの記憶に刻み込まれている。
何もかも覚えていないのかと、一気に愕然とした思いが込み上げた。
だが。
「おまえ、オレが嘘付いてると思う?」
「……………………」
アルフォンスはまばたきをして、少し考えて。自分の身を省みて、しばらく呼吸をして。
「嘘じゃない、と思う」
「だろ。自分で判るだろ」
アルフォンスは顔を赤くして俯いた。オレはその反応で、自分の胸に湧き上がる感情を自覚した。
まぎれもない事実だ。これは。こいつが覚えていよーがいまいが。
落ち込んで奈落の底に落ちかけていたアルフォンスは、急に自分の手を取られて狼狽した。
「なっ…なっ…なに?」
「なにじゃねえよ。おまえ、これでもうオレから離れられねーな?」
「……は?」
「既成事実ってヤツだ。責任取れよ! オレの体をこんなにしやがって、オレを捨てたりしたら許さねぇ。おまえは一生オレのそばにいろ。出来ないとは言わさねぇぜ? 誓えるな?」
オレは満面で微笑んだ。心が非常に晴れやかだ。雨降って地固まるとはこのことだ。ざまあみろ! オレばっかりが得した気分だ。もうこれでアルフォンスがどこかへ去ってゆく恐怖に怯えることもない。アルフォンスはものすごく義理堅いヤツだから、一旦こういうことをしてしまえば一生面倒を見てくれることだろう。オレがおまえをそばにおいておく事を許すだろう。
アルフォンスが呆然と言った。
「…………嬉し………そうに、見える…………」
「たりめーだ! 嬉しいんだよ」
オレは出来る限り首を伸ばしてアルフォンスの心臓に近いところ(それでもオレは起き上がれない体勢なので、せいぜい手首くらいまでだったが)に、唇を押し付けた。
「これで、オレはおまえとずっと一緒にいられる」
「……………………………………………」
オレはすっかり満足して、アルフォンスに口付けた状態でじっとしていたので、アルフォンスがどういう表情をしてどのくらい動かなかったのか気付かなかったのだが。
「……………ねぇ、兄さん」
「なんだ」
見上げたアルフォンスは、物凄く真剣な顔付きで深呼吸をしている。そして二回目に息を吸い込んで、
「言いたいことはいっぱいあるけど、今言っても何もかも無意味だけどこれだけは、これだけは言わずにはいられないんだけどね」
ぐ、とオレに顔を突きつけて、極限にまで泣き笑いの表情に顔を歪ませて言った。
「……とっとと襲っとけば良かった……!!!」
あまりに必死な表情だった。
「このバカやろう。何度言えば判るんだ。有り得ない。それ、最初っからボクが言ってたのに。何度も! 誓うも誓わないも思いっきり今更だよ! 襲ってすいませんでしたなんて、誰が謝ってなんかやるもんか! 覚悟しろ。泣いて喚いて謝ったって、一生一秒たりとも離してやらない。地獄の果てまで付いて行ってやる!」
「…………おう。のぞむところだ」
アルの言葉が体中に染みこみ、幸福に変わってゆくのが判る。オレは微笑んだ。
「ばかじゃないの。……ばかじゃないの。こんなひと知らない。こんな……こんな」
アルフォンスの瞳からとうとう涙が零れた。オレをぐいと持ち上げて、骨が折れるかと思うほどに裸の胸をあわせて抱き締めた。アルフォンスは、自分を救うためにオレがわざとこういうことを言っているところもあると思っているのかもしれない。間違いではないが、オレのためでもある。こいつのためでもある。
もう声にもならないらしく、歯を食い縛って嗚咽をこらえる。コイツって結構泣き虫だよなぁ、と頭の片隅で思いながら、オレは幸福感に浸った。
オレはきっと、アルフォンスに恋をすることを怖れていたんじゃない。恋をした先に何が起こってもおまえを手放さないという、その覚悟が出来なかっただけだ。
喧嘩したって失恋したってオレたちはオレたちだ。世界にたった二人だけの兄弟だ。恋をしあったところで何が変わるんだろう。失うことが怖いならオレたちはもとから生まれてくるべきじゃない。
いいだろう。こんなことになった以上、前に進むしかないのだ。何があっても、こいつを手放すものか。
オレはいままさに、アルフォンスの言う通り、自分が馬鹿であることを自覚した。
こんなことになるまで覚悟できなかったなんてな。
アルフォンスは息を吸い込んで吐いて震える声で、それでもはっきりと思いを吐き出した。
「何度も何度も言ってたのに。こんなことで安心してもらえるなんて、ものすごく皮肉だ。なんのために今までガマンしてきたのかほんと全然判んない。この馬鹿。バカバカバカ。この大馬鹿やろう」
恋を、しそうだ。
からだがふるえるくらい、アルフォンスの台詞がオレの胸に凄まじい勢いで流れ込んできた。
「済んだことだろ。なぁアルフォンス、お兄ちゃんはひとつ思うことがあるんだが」
うわあもう、大好きだこいつ、と思ったのだ。こころに溢れるこの気持ちを、今は素直に出すことが出来る。ああ、今までオレはこの気持ちに気付かぬフリをしていたのだ。この気持ちが恋であろうが愛であろうがどうでもいい。オレとアルフォンスはふたりでひとつだ。それだけが真理だ。
「ぼっ…ボクの話まだ終わってないんだけどね?! 判ってる? ボクものすごく怒ってるんだけど……!」
「オレも怒ってる」
静かにそういうと、アルフォンスはう、と言ってオレを抱き締めていた腕の力を弱めた。何のことかすぐにわかったのだろう。というよりは、とうとう来た、という感じか。
「おまえ、なーんにも覚えてないって言ったな。オレを押し倒したこと」
「………………覚えてないよ」
「でも自分が最後まで抱いたということは判る。自分の体の状態が何よりの証拠だ」
「……………はい」
「つまりおまえは、今まで好きだ愛してる、振り向いてくれるまで絶対無理強いはしない、って言い切ってた相手に、酔った勢いで強姦しておいて自分はそれをまったく覚えていない、と」
「…………………………」
アルフォンスはまるで叱られた時のデンのようにみるみるうちにうなだれた。
「それって許されることかなぁ〜?」
「……ごめんなさい。言葉が見つからないです。……したことについては謝らないけど、それを覚えてないことについては……弁解のしようもないです」
「うんうん。許されねーよなぁ。……では、どうしたら思い出せると思う? おまえ」
アルフォンスの背に回していた腕を持ち上げて、首にひっかけた。そしてわずかに首をかしげてアルフォンスに笑いかけてみる。アルフォンスはオレの態度がおかしいことに気付いて、それが何を表すのかもなんとなく察しがついたようで、唖然として口をぱくぱくとさせた。
「いや…………あの」
「正直に思ってること言えよ。ん?」
「え、えー………と………」
アルフォンスは衝撃のあまりしばらく動きが止まっていたが、しばらくしてオレの背中に回した腕に力を篭めた。そして意を決して、
「………もう一度、兄さんとしたい」
「した……おまえ今したいっつったな! 直球だな! もう一度したら思い出せると思う、とかじゃなくて思いっきりしたいっつったなおまえ。正直すぎだ」
オレはげらげら笑った。アルフォンスはかーと顔を赤らめて、だってしょうがないじゃん! とか言っている。
「ああ、おかしい。んじゃオレも正直に言うわ。オレもおまえともっかいしたい。ちゃんと」
「……え?!」
アルフォンスがものっすごい勢いでオレの肩を掴んで顔を覗き込んだ。予測通りの反応に顔が緩んだが、それはそれとして自分の言い分をぶちまける。
「オレだって腹立ってんだよ、何一つ覚えてもらってねーってどうなんだよ。やられ損じゃねーか。ってかおまえだってやり損だろ」
「や………やり損です!! ボクそれ思いっきり思ってました! さっきからずっと思ってました! 兄さんのことちっとも感じられてないのに認知だけさせられてものすっごい理不尽だと思ってました! 一時の過ちのみでこれからずっとそればっか責められ続けられたらどうしよう…せめて覚えてたら責められ甲斐もあるのに酷いーって思ってましたー!!!」
アルフォンスはがくがくとオレの肩を揺さぶる。あーもーダメだこいつバカすぎて愛おしい。
「あぁ、判った判った。落ち着け。せっかくお兄ちゃんの気分がノッてるときにそんな揺らすな」
「えっ……あの、はい」
素直にぴた、と動きを止めたアルフォンスを見て、オレは笑った。
アルフォンス。おまえは知らんと思うが、おまえよりオレの方がよっぽどおまえにメロメロなんだ。恋じゃなかったとしてもな。
だから。
「もっと、もっと。……オレから離れられなくなっちまえ」
アルフォンスの頬をそっとなぞって、オレは切なく囁いた。
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