弟の様子がおかしいことに気付いたのは、今までオレが注いでやっていた杯をアルフォンスが自分で注ぎだした時だ。
「おっアルフォンスくん、イケる口かい」
オレは暢気にそう言って、自分の飲みかけのグラスを持ち上げて、アルフォンスのグラスに当てようとすると、アルフォンスは気にも留めずにぐいと呷って見せた。オレは眉を上げた。
「………アル?」
「……………」
大分酔いが回ったらしい弟は、少し頭をふら付かせながらあらぬ方向に視線を投げてぼうっとしている。いつもきちっとして真面目な弟がめったに見せないその様子に、オレは思わず笑みを零した。
H a c a t e b r a v o !
今やっている研究の題目がうまく進まず、毎日家の研究室でうんうん唸っている弟に、たまにはハメを外しゃいいんだ、とばかりにちょいと奮発して手に入れた葡萄酒を今夜の食卓に上らせたのはオレだった。ヤツはこのところ、ほかの事でもいろいろと悩んでいるらしくどうにも調子が悪い。
ほかの事というのは、この間家の廊下で朝にすれ違った時だ。アルフォンスはオレの顔を見るなり動きを止め、みるみるうちに顔を赤らめたかと思うとくるりときびすを返して自分の部屋に駆け込んでドアを閉めた。オレにとっちゃ、自分の顔を見て逃げ出されたわけで、むかっ腹が立ってアルの部屋のドアをドンドン叩いて理由を問い質した。
「ご、ごめんなさい、兄さん」
「ああー? ごめんじゃねえよ、何かあったのかよ」
「あの、えーとね」
「…………………」
「……………いつもの、やつ…………発作」
発作。
オレはその言葉の意味するところが判って、あいつと同じくらい顔を赤らめて、あー、判った、悪ィ、と呟いてその場を後にした。
アルフォンスはオレに恋をしている。時々、いや結構な頻度なのだろうとは思うが、ものすごい夢を見る、らしい。朝起きて現実にオレの顔を見てしまうと罪悪感で居てもたっても居られなくなるくらいの、ものすごいヤツを。
更に付け加えて言うならば、それはかなりの頻度で「夢ではない」のだと言う。「夢」なら無自覚だろうが、寝ている時でないときに見る「夢」であれば、それは。
内容を根掘り葉掘り聞かなくてもオレだって男だしアルフォンスがオレを思う気持ちも判るので、あえて言及しないことにしている。
オレはアルフォンスが嫌いではない。嫌いなわけが無いのだ。世界にたった一人しか居ない弟で、アルはオレを愛している。恋愛感情を抱かれて困らないこともないが、それはアルフォンスを嫌いになる理由にはならない。アルフォンスがオレに抱いている不埒な気持ちも知っていて、オレはアルと一緒に暮らしている。ヤツにとっては拷問に等しい毎日だ。でもオレは離れられない。オレたちはお互いに許し許され生きている。
アルフォンスは毎日、愛してるよ、兄さん、と言う。言わずにはおれないのだ。溢れそうな気持ちを毎日毎日押さえつけて生きるアルフォンスに、オレはもう、おまえの望むことをされても嫌いにはならない、と教えたことがある。アルフォンスがオレに望むことなんて、世の中の恋人たちが普遍にしているようなことだ。オレがアルに対して持つ感情の中で、そこだけがアルと違うところなのだ。だが。
はねつけられた。兄さんがボクに「恋」をしてくれないと意地でもしたくないと言い張った。
オレは呆れたし、じゃあどうすりゃいいのよと思ったが、それ以上にアルフォンスが愛しくて愛しくてたまらなくなった。あーあ、馬鹿なヤツ。本能で欲情しているヤツに、いいよ、と言われたも同然だというのに、この頑固さよ。
おまえがそんなだからオレは離れられないんだこの馬鹿。おまえのせいだ。
オレはアルフォンスに内緒にしていることがある。アルフォンスがオレの気持ちを無視して暴走したとしても嫌いにはならない、と言ったのは言ったが、いざ事に及ばれると間違いなく拒むだろう。殴るか蹴るか錬金術を使うか泣き落とすかいやだと一言言うか、どんな適当な手段でも拒むことが出来る。それはアルフォンスが本当にオレのことを想っているからだ。少しでも嫌がればアイツはオレを抱くことなんて出来ない。オレはそれを心底有り難いと思っている、その理由を内緒にしている。
一度抱き合ったら、関係が変わる。
これは恐怖だ。今の状態でさえもオレはブラコンで、ベタ惚れで、コイツと離れて暮らすなんて考えられない。弟というだけでどうしてここまで入れ込めるのか自分でも判らん。
そんなヤツと、肌を合わせるとか。一度でもしてしまってみろ。オレは自分で自分が恐ろしい。
もう正直に言おう。オレが嫌がっているのはアルフォンスとセックスをすること自体じゃない。むしろ、してもいいな、と思うほどにはオレはアルを愛している。だがアルフォンスとそういう関係になれば、オレはきっとアルフォンスに恋をしてしまう。これは予感ではなく確信だ。
恋はエゴだ。オレはそんな気持ちで弟と接したくない。弟を守ってやれるのはオレだけなのに。
だから必死で、オレは兄なんだ! と鉄壁のガードを作って、弟を遠ざけている。
おまえとは一生一緒にいたいんだ。アルフォンス。
「おいしいなぁー、葡萄酒って。ねぇ、それどこ産?」
「んー……キャンティゴール4023、って書いてあんな。おまえ聞いたことある?」
「判んない」
えへら、とアルフォンスが赤い顔で笑う。なんて可愛い顔をするんだろう。最近悩んでいた弟がこんな笑顔を見せてくれて、オレは暖かな気持ちで満たされた。ちょっと高かったけど、買ってみて良かった。世の大人たちがこれに溺れて足を踏み外すところを知っているけれど、上手に使えばこんなに素晴らしいのだ、酒というものは。
「オレも普段飲まねーけどさ、たまにはいいよな」
「うん。…………ありがとう、兄さん」
アルフォンスが笑う。
何を改まって、とオレは笑って一杯目のグラスを空にした。弟って、いいな、と思う。何でもないようなことでふと思ってしまう。アルフォンスがいてくれて良かった。生きててくれて良かった。オレが一人で生まれてきているところを、想像出来ない。オレは開き直るよ。ブラコンで結構。この幸せは兄にしか判らない。
アルフォンスがじっとこっちを見ているのに気付いて、オレはなんだよ、とアルフォンスの額を小突いた。
「えへへ。兄さん、大好きだよ」
「……なんだよおまえ、唐突に」
オレは照れてやけに低いトーンになったのが自分で判った。そんな目でオレを見るな。オレは、オレのことを好きだと言うアルフォンスが、可愛くて仕方が無い。そういうアルフォンスの表情が、とても好きなのだ。ボクは兄さんのものだよと、オレを安心させる、その瞳。
「唐突じゃないよ! 前から言ってるだろ」
「はいはいそうですねー」
「前から兄さんが大好きだって、兄さんだけが大好きだって、抱きたくてたまらないんだって言ってる」
違和感。
アルフォンスはオレに身体を寄せてきた。上機嫌だ。アルフォンスが近づいた状態で既にオレは何故か少し身構えてしまったが、アルフォンスは動じない。
アルフォンスは自分が抑え切れないからと、いつもこういうふうに自分から墓穴を掘るような行動は慎んでいたはずなのだが。
オレはそのことを知っているし、アルフォンスは自制が効くヤツと判っているので、多少オレの貞操がヤバそうな時でも大して動じない、はずなのだが、
「大好き」
アルフォンスが幸せそうに微笑む。オレの頭は警鐘を鳴らしている。おかしい、と思ったその瞬間。
抱き締められた。
いままで何度も抱き締められてきたが、これはいくらなんでも様子が違う。今までと種類が違う。この熱さ、力強さ、この真剣さは、これだけで済ます気の、まったくない、抱擁。
「……おい、アルフォンス」
「兄さん、いいにおい。ああ、ずっとこうしたかったんだ」
アルフォンスはオレの首筋に唇を押し当ててきた。オレは衝撃のあまり頭が真っ白になった。アルフォンスが勝手にオレの体に触れることは許されない。お伺いを立てて、オレが仕方が無いな、と妥協するか、自分もなんとなくスキンシップがしたい気分の時だけ許すのに。
喉に絡まる声で、弱々しく咎めるばかりだ。
「なに、やってんだ、おまえ。離れろ」
「どうして? ねぇ兄さん、大好きだよ。セックスがしたい」
がつん、と頭を殴られたような気がした。アルフォンスの手は勝手に動き、オレのシャツのボタンを外し始め、あろうことかベルトに手をかけた。そのがちゃがちゃと言う音でオレはようやく我に返り、がむしゃらに抵抗を始めた。
「ふざ……けんな! 誰が許した!」
「ねぇ兄さん、そんなに暴れないで? 上手に出来ないよ」
「アルフォンス! アルフォンス、おい! ……クソ、おまえ、酔いすぎだ!」
アルフォンスはちっとも耳に入ってない様子で楽々とオレの抵抗を抑え込み、シャツのボタンを外してゆく。ベルトは解かれ留め具も外され、本気で焦るオレの上半身を押さえつけてソファに押し倒した。そのまったく容赦のない行動と、アルフォンスに覆われて陰になった視覚で、オレの背筋はぞくりとした。
オレの声はほとんど聞こえていない。アルフォンスにひとまとめに捕まれた手首をはずそうと、頭に血が上るほど力を込めて振りほどこうとしたが、アルフォンスはびくりともしなかった。
アルフォンスの膝が、オレの股間を擦り上げる。
「………っっ」
オレは思い知った。アルフォンスはオレの前では従順にしていたが、オレを力づくで抱こうと思えばいつでも出来たのだ。
その事実はショックだったが、もうひとつショックなことは。
ああ、アルフォンス。無理矢理押さえ込まれているのに、この上もない深い愛情で極上のベールに包まれるように感じているオレは、このときをずっと待っていたかのように感じているオレは、それでもおまえを愛しいと思ってしまうオレは、おかしいのだろうか。
まるで壊れ物でも扱うかのように、それはそれは丹念に丁寧に、大きな手で肌を撫でられる。髪の毛を漉かれる。声が裏返る。引き攣れる。昔に、何度も身に覚えのある感覚。アルは暖かく、アルの匂いがした。アル。アル。オレは感極まって泣いていた。アルの口付けはオレのすべてを奪うかのように熱く、優しかった。昔、アルの手でオレは何度も絶頂に達して、その度に甘い言葉と口付けを何度も何度もこの身に受けてオレは眠りに落ちていった。同じ感覚、違う感覚。これはアルなのだ。生身の体のアルは、鎧の時より大きいはずは無いのに、オレは確かにそんな感覚でアルを感じた。
昔、嫌になるくらい触れられた箇所を愛撫されている。アルフォンス。アルフォンス。なんて熱いんだろう。なんて力強いんだろう。もうオレの庇護を必要としなくなったのか。泣くな、アルフォンス。お兄ちゃんはここにいる。
「う、……あぁ、アル」
アルフォンスの息遣い、熱い口付け、熱いてのひら。これはアルフォンスなのか。アルフォンスだ。オレの可愛くてたまらない弟だ。お兄ちゃんに何度もキスして、愛してると言っては泣いて、オレの性の部分を愛しそうに撫で擦り、またキスの雨を降らせる。そんなにオレが好きか。なぁアルフォンス、おまえはそんなにオレのことが好きなのか?
「…………っ、…………っ、ぅ、ぁっ」
「兄さん……可愛い……愛してる」
びくびくと震えるオレ自身を握りこんだ手のひらで押さえつけ、アルフォンスは熱に浮かされたように好きと可愛いという言葉を繰り返した。オレはもうアルフォンスの一挙手一投足にようやく意識を投じることだけをかろうじて許されていた。アルフォンスはオレの吐き出したものを指に取り、後ろでひくつく箇所へ持ってゆく。達したばかりで体全体が敏感になっていたオレは、あまりに懐かしいその感覚に悲鳴を上げた。
「……ア……、っひ……っ」
アルフォンスは飽きもせずオレの顔への口付けと後ろへの愛撫を続けた。そうだ。アルフォンスが鎧の体だった時、初めてコイツと繋がった時も、こうして何度も何度も慣らされた上でだった。
達したばかりのものが再び頭をもたげて来るのが判った。何かがゆっくり、ゆっくり進入してくる。これはアルフォンスの指か? 頭に熱が上がりすぎて、真っ白な感覚に陥る。オレは泣きじゃくり、いやいやをするように首を振る。抗う余裕はこれっぽっちもない。
「…………っっ!!」
びくん、と体がのたうった。アルの指がオレの中を掻き回す。ああ、ああ、アルフォンスは確かに自分の体でもってオレを愛撫しているはずなのに、アルの気持ちが体中に染み込んで来るこの感覚はなんなのだろう。
「ねぇ、気持ちいい? ちゃんとボクのこと感じてくれてる?」
アルフォンスはオレの顔を穴が開くほど見つめながらそう言って、ぐるり、と指を回しながら引き抜いた。オレは仰け反って悲鳴を上げた。
「可愛い、ひと……大好き」
アルフォンスは恍惚と呟いて、震える唇をオレの額に押し付けた。押し付けながら、オレたちの体液をてのひらに取り、アル自身をきちんと濡らしているのが見えた。ぐ、と足を持ち上げられて開かされ、何か思う暇もなく、とろりと濡れた熱い体温が、そのまま押し付けられる。
「兄さん、入れるよ。……一緒になろうね」
アルフォンスが「入って」くる。
オレはものも言えず痙攣し、どんどん肉を掻き分け進入してくる感覚に、思わずアルフォンスの肩口に噛み付いた。
「……ひっ、……ひ、ぁ」
「に……ぃさ……ん……っ」
アル。アル。アルフォンス。アルフォンスがオレの中にいる。熱い。どうにかなりそうだ。入ったよ、と耳元でこの上も無く切ない声で囁かれ、そのまま揺さぶられ、叩きつけられ、兄さん、兄さん、兄さんとまるで泣いているみたいに繰り返すアルフォンスの声を聞いているうちに、オレはもう何もかもわけが判らなくなって泣きじゃくった。
「兄さん……兄さん……っっどうしよう、可愛い……気持ちいい……気持ちいいよ……っっ」
「……っ、……っぁ、アル……フォンス……!」
アルフォンス。アルフォンス。
…………オレの、アルフォンス。
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