誰が為のドレサージュ・2>>前半








「や………やだよ、何言ってんの? バカじゃない? 何考えてんのさバカ兄貴」
「バカバカ言うな。オレは本気だ」
「本気って本気って意味判んないし何それ、あー、えっと兄さん大丈夫? 水持ってきてぶっかけたらスッキリする?」
「余計熱出ると思うが」
「ああうんそうだね、ボク錯乱してるなぁアハハ。………………ってちょっと……………」
 アルフォンスはベッドの脇に突っ伏した。自分の手はエドワードに握られたままだ。どくどくと心臓がいっている。混乱している。今世界がどうなっているのか判らない。何がどうなっているのか。エドワードは別に急ぎもしないのかひとり落ち着いている感じでいる。
「……兄さんの気持ちが判らないんだけど」
「あー、そうだな。オレも判んねぇ」
「何なのソレ。よく判んないのに襲われちゃっていいわけ?」
「うーん。………あ、ほらオレ熱あるし。それでじゃねぇ?」
「それで精神的におかしくなっちゃってるってこと?」
「多分」
「じゃあイヤだ」
「何でだよ」
「何でもクソもないよ。このバカ兄貴。嫌いになるよ」
「それは困るな」
「困るな、じゃないよ。こっちが困るよ」
「何で困るんだよ。つーか何でイヤなのかが判んねぇ」
「イヤなものはイヤ。絶対イヤだ」
「何でもワガママ聞いてくれるっつったじゃねえか」
「…………………っっっ、このバカ!!いい加減にしろー!!!」
 アルフォンスはエドワードの手を振り解いて怒鳴り付けた。エドワードはびくりと肩を竦めた。怒鳴り付けたのは自分であるのにアルフォンスは酷く傷付いた顔で、すぐに振り解いたエドワードの手を取り、泣きそうな顔でそっと口付けた。
「ごめん。……そんな事言わないで欲しい。言わなくていい。兄さんの望むことは何でもしてあげる。ずっと傍にいるし、手を握ってるし、抱き締めてもあげる。……だからそんな事言わないで。ボクを見くびらないで。兄さんが嫌なことは絶対しない。抱き締めても手を握ってもボクは我慢出来る。ボクの本当の幸せを履き違えないで。……ボクの恋を利用しないで。利用する時に痛みまで引き受けようとしないで」
「ごめん」
 エドワードは震える瞼を閉じ、静かに呼吸をした。
「ごめんな………ホント、オレおかしーな」
「熱あるもんね。ちょっとはおかしくなるよ。……ずっといるから」
「アル」
「何」
「もう襲ってなんて言わねーし、……ちょっと……抱き締めて欲しいんだけど」
「うん」
 エドワードが布団を捲り、腕を広げる。アルフォンスは近付いて、シーツとエドワードの背の間に手を差し入れて(その時の手に触れた熱に一瞬びっくりしたが)、腕をまわして、しっかりと抱き締めた。
 エドワードは熱かった。シャツ越しでも伝わる体温にアルフォンスは眩暈を覚えた。……ひどく熱いこの体。エドワードに触れている部分がどんどん熱を持ち始める。酷い眩暈だ。まるでセックスだ、とアルフォンスは思った。眩暈がする。自分はもうほとんど半泣きなのだろうなと思いながらぎゅうぎゅう抱き締めた。
「あー………すげー気持ちいい………」
「………うん」
 抱き締められたまま、エドワードが呟くように言った。
「なぁ……アル……オレさー。お前が思ってるよりお前のコト好きだぜ」
「うん。……うん。判ってる。ボクそれだけで十分だから」
「オレは十分じゃない。なんかお前、判ってない」
「……………」
「オレ最近判ったんだけど、お前とそういう関係になりたくないわけ」
「何でなの?」
「オレ怖ぇんだよ。もしそういう関係になったとして、そのあとが。……なんかあってお互い気持ち薄れちゃったら関係ってもう終わりじゃん。なくなっちまうじゃん。オレ、それが怖い」
「なくなんないよ。だって兄弟でしょ」
「兄弟じゃなくなるじゃん、そういう関係になったら」
「そう思うのは兄さんだけでしょ」
「違ぇよ、お前だろ」
「ボクは絶対そんなことないから。誓う」
「オレも絶対ねえよ。オレは何があってもお前に弟でいてほしいから、ずっと一緒にいてほしいからコイビトってやつになりたくねえ」
 アルフォンスはふと違和感を覚えて、少し身を離してエドワードの顔を覗き込んだ。
「ボク、勘違いしてたらごめん。………あのさ、もし、もしだよ、ボク達が恋人同士になって、もしそれが死ぬまで続く保障があったら兄さんはボクと恋人になってくれるの?」
 エドワードは少し考えて、そうなるなぁと言った。
「で、そんな保障がどこにもないから、そんなくらいなら弟のままでいいと思う訳だなオレは」
 エドワードはまっすぐ、アルフォンスを見つめた。
「オレはそれくらいお前と離れたくない」
「………ブラコンだ」
「ブラコンだな」
 わははとエドワードは笑った。

 ああ、いとしい。

「兄さん、めちゃくちゃキスしたい」
 アルフォンスの胸が悲鳴を上げる。愛しさに、潰されてしまいそうになる。
「何の脈絡もねぇなぁ……」
「脈絡ならあるよ。恋人のキスって兄さんが思わなければいいじゃん。そうそう。コレ兄弟のキス」
「兄弟がするようなキスでいいのか」
「ああ、いや、それはほら。まあ成り行きで」
「………ん。なんかオレも、今すげーお前とキスしてぇ」
「……ほ、ほん……ほんと?」
 アルフォンスは眩暈のしそうな甘ったるい雰囲気にくらくらしながら、大好きで大好きで大好きで、気の狂いそうなほどにいとしい目の前のエドワードの、熱の所為ばかりではないはずの赤い頬を、そっと指でなぞる。
「ホントに、キスだよ? 唇と唇、くっつけるやつだよ?」
「ああ。とっととしろよ、いつ気が変わるか判んねぇぜ」
 アルフォンスは瞬きをして、それから目を半分伏せた。
「愛してる」
「…やめろ、ほだされるから」
「もうほだされてると思う……」
 くすくすと笑うエドワードにアルフォンスはうっとりと呟いて、近付いた。エドワードが目を閉じたのを確認して、吸い込まれるようにそっと顔を伏せる。
 は、と息を吸い込む。体温差がなければきっと、触れたか触れていないのか良く判らなかった。やわらかな熱だけがくちびるを包む。全身が痺れる。頭の奥に透明でずしんと甘いものが響く。エドワードの肩を掴む手が震える。お互いの鼻腔から漏れる吐息が頬をくすぐる。
 一瞬のような永遠のようなとき。
「…………は、」
 アルフォンスは頭を起こし、じんじんと疼く頭をエドワードの肩口に埋めた。そのまま呼吸をする。心臓の音が、耳にようやく戻ってくる。物凄い大音量だ。自分はこれに気付かなかったのか?
「………はぁっ」
「ふふ、アル」
「…………?」
「お前、すげぇ真剣」
「真……剣、にもなるよ、あー」
「ん、気持ちよかった」
「そうじゃない…そうじゃ…」
 エドワードがひとりで満足していると、アルフォンスはまだ異世界に居るような顔付きで突っ伏している。
「どしたんだよ」
「ど、ど、どうしよ、なんか、なななんか」
「落ち着け」
「………い」
「い?」
「…………イクかと思った……………」
「……口、くっつけただけだろ……」
「いや………ほんとに、………すご……」
「……勃ってる?」
「ん、勃ってない。でもイキかけた……」
 アルフォンスは真剣に呟いた。その必死さが伝わって、エドワードは思わず笑みを零した。
「わ、笑わないでよ」
「ん、悪ィ」
 アルフォンスは頭を起こしてエドワードを見つめた。息のかかるほどに、こんなにも近い距離に今更ながら鼓動がまた早まる。アルフォンスは急に不安になった。
「あ、あのさ」
「ん?」
「……イヤじゃない? キスして、……こんなにボク、近くにいて」
「イヤじゃねぇよ。あったかくて、いー気持ちだ」
「…………そう。良かった。……ボクも凄くいい気持ちだ。なんか」
「ムラムラしてるとか言わねえの」
「またそういう……だいじょぶ。なんか幸せすぎて死にそうになってるだけ」
「それもアレだな、大丈夫じゃないな」
「だいじょぶだってば。ねぇ、さっきの話だけどさ」
「さっきの話?」
「兄さんってね」
 エドワードの手の甲に緩く口付けて、咎められなかった事に心底安心して、アルフォンスは言った。
「……ボクを恋人として見られないんじゃなくて、恋人として見ない様にしてるってことで理解していいの?」
 エドワードは少し考えて、えーとかあーとか言い、
「お前を恋人にしたくない」
「それはボクが弟だから。恋人になると弟じゃなくて恋人になるから。恋は終わるものだから。終わったらボクは兄さんにとって弟じゃなくなるから。……こういう構図?」
「ふむ。正しい」
「要するに兄さんはボクと離れたくないわけだ」
「何度もそう言ってるんだが」
「じゃあ兄さん、恋って言葉を使うのを止めよう!」
「お前が言いだしたんじゃねーか」
「いや、うん、だってね。そうとしか言えない気持ちだったからさ。えーとだからね、ボクたちは兄弟ですがキスしたりセックスしたり独占欲が強かったりします。……というのはどうだ」
「どうだとか言われても……」
「ええ? 不満?!」
「何で弟とセックスすんの」
「……弟がしたがってるから。お兄ちゃんが弟のワガママをきいてくれるという構図」
 何度か瞬きをしたあと、エドワードは首を下に向けて呆然と呟いた。
「…………な、なんかそれは別に……意外におかしくない…気が…」
「で、でででしょーでしょー?!どうなのそれって!!」
 手応えアリー! とばかりに意気込むアルフォンスに、エドワードはしばし逡巡した。
「うーん」
「ボクはあくまでも兄さんの弟だよ、未来永劫変わらないから。ずっと傍にいるし、家族だし、死ぬまで一緒っていうか死んでも一緒。どうこれ」
「どうこれって、今までと同じだろ」
「ボクが言いたいのは、そ、その、だから」
 アルフォンスは顔を真っ赤にして、喉の奥から搾り出すように、兄さんとしたい、と言った。エドワードはそれをちゃんと聞いて、はーっ、と溜息をついた。
「なんでオレとそんなにしたいの?」
「え…え…何でって…何でって…好きなんだもん」
「セックスが?」
「兄さんがだよっっっ!!!!」
「オレお前のコト好きだけどンな気持ちになんねーしな」
 だからこの気持ちは恋なのだ。……と思わず言いかけてアルフォンスは踏みとどまった。
「だから……だからね、ワガママなんだよ。ワガママって人には理解出来ないでしょ? ボクは…兄さん見てたらたまらなくなる…他の人にはそんな気持ちになんないんだよ。兄さんだけなんだ。時々狂っちゃいそうになる。ごめん。ほんとにワガママで。……えと……兄さん、気持ちいいこと好きじゃない?」
「嫌いじゃねーよ別に。目の色変えるくらい好きでもねえけど」
「……兄さんこないだ一人でしたの、いつ?」
「?? ……? おととい? なんかそれくらい」
「その前は」
「覚えてるワケねーじゃんそんなの」
 アルフォンスはがくりと頭を垂れた。
「兄さんってさあ……昔から思ってたけど、ホント性欲薄いよね……」
「お前が盛りすぎてんじゃねぇの」
「ボクは絶対普通だと思います!!……兄さんにしか食指が動かないって時点で普通じゃないけどまあそれはいいとして」
「……お前は?」
「は?」
「いや、ペースは」
「……………」
 途端に黙り込むアルフォンスに、エドワードは眉を聳やかした。
「すまん、聞かなかったことにしてくれ。それよりもおい、アル」
 エドワードはアルフォンスの頬をぺちぺちと叩いた。
「悪いけどさ、オレ疲れた。眠い」
「えっ……あっ……」
 当惑と失望にアルフォンスは百面相の様子を呈して、すぐに申し訳なさそうに顔を歪めた。
「熱あるのにごめん……ボクまた暴走しちゃった。ワガママばっかりでごめん」
「気にしてねえよ」
「……あの、ボク別に急がないから」
「そりゃまた大きく譲ったな」
 エドワードが笑った。アルフォンスの大好きな笑顔だ。この笑顔を見るとアルフォンスの中の何もかもが幸せに満ちる。この兄はこうやって、いつもいつも自分を許すのだ。心が狭い、自分勝手なんてエドワードを表現するひとは、エドワードのこの笑顔を見てもこれがエドワード自身だとは信じられないだろう。いや、この笑顔は自分だけにしか見せない。アルフォンスの頭には自惚れという言葉が過ぎるが、これは、これだけは自惚れなんかではない。エドワードがなんのためにアルフォンスと一緒にいるのか、それが判らないほどアルフォンスも野暮ではない。 目の前のこのひとだけがいればいいような錯覚に陥る、この暖かな、心が溶かされるような笑顔。
 きっと錯覚ではないのだ。
「そばにいるからね」
「トーゼンだろ? あれだけ啖呵切っといて今更「我慢できなくなるから離れます」なんて言うなよ」
「い、言わないよ! 見ててよ、ボクの鉄壁の理性」
「見られん。オレは寝る」
 アルフォンスは苦笑して、早々と目を瞑ったエドワードの布団を肩まで引っ張り上げた。
「どこにも行かない。ずうっと傍にいるからね」
「………不思議だ」
「なにが」
「通常そのセリフを言われるとテメエは何様だオレは子供じゃねえとか思うんだが」
「………安心する?」
 その言葉にエドワードは目を開けてにっと笑ったかと思うと、おもむろにアルフォンスの頬を両側から思い切りひっぱった。
「ひたたた、あ、あにふるのー」
「んでとりあえずムカつくからこうする」
「は、はけはかんないー」
エドワードが手を離すと、アルフォンスはあいたたた、と言って頬をさする。それを眺めて、エドワードは満足そうに笑った。

 いとしいひとには、嘘をつきたくないのだ。

「アル」
「なに?」
「愛してる」
 固まったアルフォンスは慌てて気付いたように、
「ぼ、ボクも」
 エドワードの腕が伸び、アルフォンスの頬を両手で挟み、ぐい、と近づけて、くちびるを合わせて、離れる。
 アルフォンスの目はまんまるに見開かれている。エドワードは微笑んで、囁いた。
「お前がいればいい。お前はオレのものだ。どこにも行くな」
「…………兄さん」
「愛してる。……お前とは、絶対に恋人になりたくない」
 アルフォンスの、開ききった瞳が、それ以上に開いた。震えて戦慄く瞼を、目を細めて見て、エドワードは囁いた。
「愛してる。アルフォンス」
 アルフォンスの唇がへの字に曲がった。歯を食いしばりながら歪んでいく顔に、エドワードはそれでも判りきっていたかのように微笑を崩さない。
 アルフォンスの瞳から涙が零れて、エドワードは自分はこれから殴られて、怒鳴りつけられて、この部屋から、自分から離れていくアルフォンスを想像した。
 だが。
 アルフォンスは自分の頬にかけられたエドワードの両手を優しく包み込んだ。それはそれはいとしそうに。丁寧に。壊れ物を扱うように。
「ボクも、愛してる。どこにも行かない。ボクは兄さんのものだよ。離れない。………絶対、離れてやらない」
 アルフォンスの涙がぽろぽろ落ちる。エドワードの耳に、頬に、鼻先に落ちてゆく。アルフォンスは鼻を啜って、それでも言葉を紡いだ。
「ずっとそばにいる。絶対絶対、ボクがいて良かったって思わせてあげる。ボクしかいないって判らせてあげる。恋でも愛でもない感情がこの世にあることを、一生かけて判らせてあげる。それまでどこにも行かないよ。判ってくれたあともどこにも行かないよ」
 アルフォンスは優しくエドワードの手を自分の頬からはずして、エドワードにかけた布団を捲り、エドワードの体を包み込むように抱き締めた。アルフォンスの嗚咽が伝わってきて、エドワードは抱き締められたまま目を瞑った。
「………バカ兄貴」
「……………」
「もうダメ。バカすぎて愛しい」
「そりゃこっちのセリフだ」
「……………」
「何でお前ってさ……………」
 エドワードはもうそれ以上言葉にならず、湧き上がる想いが胸につかえて出てこない。代わりに溢れるのはとめどない涙。
「何心配してんだか、このブラコンは」
「…………っっ、ひっ」
「こういうバカな人からどーやって離れろってゆーのさ。ほんと舐めてんじゃないの」
 アルフォンスの背中に腕を回して、自分の嗚咽を抑えるようにぎゅうぎゅうと抱き締めてくるエドワードの頭を、柔らかな金髪を、想いを込めて撫でる。
「……あぁ……クソ……っ、あ、有り得ねー」
 ほとんど泣きじゃくりに近い声でエドワードは搾り出すように言った。
「も………お前って………」
「あーもーはいはい。お互いぼろぼろ泣いてホント馬鹿だよね。……なんにも言わなくてもいーよ判ってるよ」
「わかっ…………わかって………」
「判ってる。………兄さんが言って欲しいことなんて大抵判る。何年そばにいて、何年兄さんを見てきたと思ってるのさ。ボクがどれだけ兄さんを好きだと思ってるのさ」
「お前……っっ、ぜ……ったい、傷付くって、オレ」
「そりゃ傷付くよ、ってか傷付いたよ思いっきり。あんなこと言われてさ。でも傷付いてらんないよこんな状況で。………バカ。………ほんとバカ。兄さんが大好きだ」
「……アルフォンス……」
「傷付けてそれで終わりになるなんて思ってたんだ? 何度も言うけど見くびらないで。そんな繋がりじゃないでしょ」
 結局それだけのことだったんだなあとアルフォンスはしみじみ思った。兄を不安にさせていた自分を心底不甲斐なく思うし、これだけ不安に感じていた兄を心底いとしいと思う。
 エドワードは静かに泣いている。兄が泣いている。抱き締めたアルフォンスの腕に知らず力が篭る。いとしさは溢れて、溢れて、とめどなく湧き上がり。
「……ごめん兄さん、きついこと言って」
 エドワードが首をかすかに振る。アルフォンスは触れた肌を擦り合わせた。
「熱あるのにね。……判ってるけど、判って欲しかった。……兄さんになら傷付けられてもいい。兄さんだから傷付けられたくない。ボクは強くなれる。兄さんだってそうでしょ」
「……………」
「変わるけど、変わんないよ」
「…………」
「とりあえずそれだけだ。おやすみ。兄さんが元気になってくれないとボクも調子出ないよ」
「…………ん」
「………なんかもうほんとにダメだ。離したくない……ごめん、熱あるのに、疲れてるのに」
「……いいよ。……このまま寝る」
「へ? このまま?」
 掠れた兄の言葉に、アルフォンスは顔も上げず抱き締めたまま笑った。エドワードも笑った。
「おう、このまま寝る。お前腕痺れんぞ」
「いつも兄さんに痺れてるから慣れてます」
「何だそれ……」
 兄の声が、言葉が、体温が、かけがえのないもので。笑いあうことの出来るしあわせ。愛を注げることのしあわせ。ボクの兄は魔法使いだ。他には何もいらなくなる魔法。
「あーあ。オレひさびさに泣いた」
「そーゆー時もあるよ」
「オレじゃねえみたいだろ」
「うん。でもこれも兄さんだよね。だいすきだよ」
 その言葉で、エドワードの手に力が込められた。
「……お前さ、」
「ん」
「……お前は絶対アレだ。クソ」
「アレじゃわかんないんですけど」
 エドワードは溜息をついた。
「ホントに鬼の霍乱だ……オレ」
「……あ、今ので判った。ふふ」
 エドワードの体がわずかに硬直する。アルフォンスは体を起こして、兄の顔を両手で挟み込む。
「弱い兄さんも好きだよ。……でしょ」
「………………あ、アホ…………」
 体中がとろけそうになるほどの甘い嬉しさに、エドワードの表情は一生懸命反抗している。頬を染めながらまるで苦虫を噛み潰したようなしかめっ面だ。
「いっつも思ってるし、態度でも示してるつもりだけど、こうして言葉にしないとやっぱ判ってもらえないね。………好きだよ、兄さん」
「あーもうやめろほんと! いちいちこんな風にオレ……クソッ、バカみてーじゃねーか!」
「弟バカ?」
「むかつく………」
 アルフォンスがくすくす笑うのに、エドワードはすっかりそっぽを向いた。
「ふふ、嬉しいから謝んない。………さ、おやすみ兄さん、ちゃんと寝て元気になってね。とりあえずそれからだ」
「………おう」
 アルフォンスはひそかに苦笑した。とりあえずそれから、と言った「それから」の内容は、このいとしい兄が元気になってから判ればいい。
 元気になったら、この人は最強だ。何故かって、ボクがついているから。やっぱり元気な兄さんが好きだ、とアルフォンスは思った。弱い兄さんも愛しいけど、多分これはちょっぴり強くなったボクへのご褒美みたいなもんだね。元気になって、またボクをそのいとしさで振り回して。まるで兄さんがボクのことを世界中で一番愛してくれてるみたいに。