クピードーの矢を放て>>
前半
「……………………………」
アルフォンスの頭の中は真っ白になっている。どうやら思考が完全にストップしているようだ。エドワードは苦笑して、アルフォンスの短い金髪をくしゃくしゃと撫でた。
「なんだよお前。面白い顔して」
「……………がっ」
「が?」
「いや、あの。いやすいません奇妙な声が出ました」
「おう」
「…………ええとさぁ………」
アルフォンスは顔を仰け反らせて思考を巡らせた。
「何で困ってるの? 何か大変?」
「大変だな」
「何でどこが」
「どんどんお前のことが好きになっちまうから」
「……………………」
アルフォンスはみるみるうちに唇の端があがりそうになるのを必死で堪えた。
恋愛感情じゃない。兄弟としての信頼の言葉だ。エドワードの言う「好き」はいつもそうだった。
だが判ってはいてもわずかな、ほんのわずかな確率の期待がみるみるうちに膨れ上がる。甘い嬉しさがこみ上げる。目の前の人に触れたくて、力一杯抱き締めたくて、がんじがらめの腕が無意識のうちにぎしぎしと動く。アルフォンスはもどかしさで思わずぎりぎりと唇を噛んだ。
「何…も…困ることないじゃん」
「困るよ。だって、恋愛感情にもなりそうだ」
「…………………は…………………?」
もうアルフォンスは思い切り首を曲げて体が動く限界まで伸ばしてエドワードの顔を覗き込んだ。
「……いやあの、……えーとですねボクはそれで何も別に困らないというかむしろ諸手を挙げて万々歳という感じなのですが」
「オレはそうじゃないんだよ。オレはどうしてもお前に恋をしたくない」
「何でさ!」
「恋はいつか終わりが来るよ」
エドワードは静かに言った。
「お前が好きだよ、アルフォンス」
「…………ばっかみたい」
アルフォンスは一呼吸置いて、吐き捨てるように言った。
「恋のひとつもしたことないくせに。よくそこまで臆病になれるもんだね」
「臆病にもなるさ。相手はお前だ」
「ボクだからこそ、臆病にならないでよ…!! ああもう、クソッ……」
アルフォンスは顔を真っ赤にしてもがいた。ソファがガタガタと音を立てるくらいに。
「ああもう、ダメだ…! 兄さん、これ解いて。再錬成して」
「え?」
「えじゃないよ早く!」
驚くほどの真剣さでアルフォンスはエドワードを見つめた。エドワードはその真摯さに気圧されながらも、両手を合わせ、アルフォンスの腕とソファに触れる。ばちばちっ、と錬成光が辺りを照らし、ソファは元あるべき姿に戻り、アルフォンスの両腕は自由になった。アルフォンスは、ぐ、と両手を握り締めて開いて、それから自分の腹の上のエドワードを引き寄せ、思い切り、抱き締めた。
エドワードは抵抗しない。黙ってアルフォンスの腕に抱かれている。アルフォンスはますますぎゅうぎゅうと抱き締めて、エドワードの首下に顔を埋めた。下半身の硬いものが兄の体に触れていることは判っていたが、エドワードが何も言わないのでアルフォンスはしばらく黙ってそのままでいた。
「……………なぁ、アルフォンス」
「何だよバカ兄」
「ホントなんだよ。オレさ、お前のことに関してだけは、時々物凄く自信がなくなる」
「時々自信満々なのにね」
「そうなんだよな。何なんだろうな、これ」
エドワードもアルフォンスの首元に埋まりながら言葉を紡いだ。しばらくしてから、く、とかすかに噴き出す。アルフォンスはその理由が判っているので、もはや何も言わなかった。
「変なの。抱き締めてる方のが落ち着くんだなお前」
「うるさいな。ボクだって時と場合くらいわきまえます」
「ほう、出来たのかそんなこと」
「あのねぇ……」
エドワードはますます笑った。アルフォンスはもう、と呟いてから、どうして兄はこんな自分に対して平気でいられるのだろうと今更ながら思う。
「………気持ち悪くない?」
「いや? べつに」
「……あ…そ、そう………」
あまりにも普通に返されたので、逆にアルフォンスの方が何も言えなくなった。
「オレも不思議なんだけど、何でお前、オレのこと無理矢理しねーの? 出来んだろ?」
「出来るけどしたくない。兄さんに嫌われたくないもん」
「そのことだけどな……オレ多分、お前に無理矢理されても嫌いにならねえと思う」
「それは判ってます。ボクが鎧だった時からそれはとても良く判ってる」
「判ってんなら何で…」
「もう嫌なんだよ、兄さんに無理をさせるのは!」
アルフォンスはエドワードの背に回した腕に力を込めた。
「鎧の時は感情が抑えられなくて……ごめん。でも幸せだった。兄さんが許してくれたこと全部がボクの幸せだった。でも今は別の幸せがある。この幸せは、今度こそ独りよがりじゃだめなんだ。……もう意地みたいなもんだよ。兄さんがボクをそういう意味で求めてくれるようになるまで粘る。ボクは降参しない」
「えーと……それはつまり……」
「アルフォンス大好き愛してる! 兄弟の感情じゃないんだお前に恋してるんだメロメロなんだオレのこと抱いてメチャクチャにしてー!! って言わせてやるぜ死ぬまでに!!!ってゆう意地」
「地獄へ行っても無理だ!!!!」
「ひど!!!」
「そんなのオレが言うワケねーだろ?! バカかお前!」
「だっ、だから頑張ってるんじゃん!? てゆーかさっき兄さんそんな感じだったじゃない! ボクのことどんどん好きになるって、ボクにメロメロってことじゃないの?!」
「…………まあ…………ある意味メロメロだ」
「………う………」
エドワードのその言葉に、アルフォンスは収まりかけた動悸がまた戻ってきたことを知った。
「や…やめて…そういう意味じゃないって判ってても兄さんがボクに向かってメロメロだとか言ったら…言うだけでヤバい。ちょ、ちょっと離れて」
アルフォンスは焦ってエドワードに回した手を解き、ぐ、と肩を押した。エドワードは不服そうな顔で、
「イヤだと言ったら?」
「泣き叫ぶ」
「……そんなお前は見たくないかもな……」
エドワードは引き攣った笑いでそろそろとアルフォンスの上から退いた。アルフォンスは投げ出していた足を自分の方へ引き寄せ、後ろを向いて膝を抱えて座って深呼吸をした。
「はーふー」
もう幸せが続きすぎてて良く判らない。兄さんが抱き締めてきたり兄さんにメロメロだって言われたり、嬉しすぎて思考回路が停止、そして違うところが暴走しそうで、とにかくそれを止めるのに必死でこの幸せをじっくり味わえない。ああもう。
大好きです。
エドワードはソファに普通に座って、そんなアルフォンスの姿を眺めていたが、やがてぽつりと言った。
「ありがとなー。オレすげえ満足した」
「それは良かった。願わくばさっきボクが言ったセリフをゆってくれるともっと良かった」
「お前なー。どーしてもオレとやりたいか」
「やりたいです。ハッキリ言っちゃうよ。ずっとボクのこと見て欲しいし、ボクの名前呼んで欲しいし、兄さんを知る人間の中で誰も知らない兄さんの顔が見たいです」
「別にそーゆーことしなくても結構見てんじゃねえのか? お前……」
「欲張りですから」
アルフォンスは首だけこちらに向けて、にやりと笑った。
「一生かけて兄さんのすべてをもらいます。よろしく」
「………………」
エドワードはアルフォンスの方を向いて、こてん、とソファに頭を預けた。金髪が首筋にさらりとかかり、アルフォンスの方を向いているのにどこか明後日の方を見つめながら呟く。
「よろしく」
「よ、よろしくされた……」
「オレもそう言われると安心する。確かに聞いたぜ? 一生オレのそばにいろよ」
アルフォンスは息を吸い込んで、後ろ向きの姿勢から一転、むしゃぶりつく勢いでエドワードに向かった。
「いっ……いるいるいる! 誓います!」
「ほう、誓ってくれるか」
「そんなわけで誓いのキスを」
「なんでキスだ?!」
「誓うから!」
「いみわかんねーよ!」
「お二人とも誓いのキスを…とかゆうじゃん!」
「それ全然違う誓いだろ!」
「いや同じです! 大事な誓いです」
「大事ってなぁ…確かにまぁ大事だけどよ」
頭に手をやってがしがしとかいたエドワードは、眉毛を顰めて、笑った。
「ま、いっか。誓いのキスね」
「いっ……い、いいの?! あ、あ、ありがとう……!」
ほとんど嬉し泣きくらいの表情で、どかんどかんと爆発しそうな胸を抱えて、アルフォンスは勢いに任せてエドワードの手首を各両手で掴んだ。エドワードもその勢いにびくりとする。
ちょっとの間、エドワードの顔を見つめてしまう。やはり自然に目が行く。豪快に笑ったり、大口を開けて食事をしたり、涙が出るほど力強い言葉をくれたりする、兄のくちびる。
ああ、ああ、兄さん。
「し、しますっ」
「お、おう」
恥ずかしいヤツ、とちいさく続いた言葉の一瞬後に、アルフォンスは近づいてエドワードの唇に唇で触れた。
「……………………」
「……………………」
うわ何これ触ってるのほとんど判らない…すっごくやわらかー…ていうか息…兄さんの息がボクの顔にかかる…か…か…か…かわいい…いいにおい…
頭に血が上ったアルフォンスは、唇を触れ合わせたまま腕を引き寄せ、エドワードを抱きすくめた。咄嗟のことでエドワードも逃れることは出来ず、動揺したままかすかにアルフォンスの腕の中でもがく。動揺したのはいきなりであったからではなく、アルフォンスの強い腕に。
腕の中の想い人がちいさく抵抗するのを感じて、アルフォンスは完全に理性を失った。思わず、本能のままに、口を開いて舌でエドワードの柔らかな唇を舐めた。それだけでは飽き足らず、ぷっくりとした上唇に吸い付いて、吸い上げる。
「………ンぅ……っ」
信じられないような、鼻にかかった甘い息が漏れる。アルフォンスは眩暈がした。すぐそばに迫った、銀色の義手が拳を作っているのが判らないくらいに。
ガツンッ!
「っぐ……は……」
アルフォンスはこめかみに超弩級の一撃を食らって、ゆっくりソファの背もたれに倒れ、そのままずるずると腰掛の位置に下がっていった。
「……しっ……舌入れやがったら殴るっつっただろ……!」
はぁはぁと息を切らせて殴りつけたままの体勢で固まっているエドワードは、自分の下の愛する不貞な輩を見下ろして。
死ぬほど幸せそうに満たされた笑顔で白目を向いているアルフォンスに、天を仰いで嘆息した。
「…………有り得ねえ。ちょっと…………気持ち、良かった…………」
その後目を覚ましたアルフォンスは、ところどころ意識があった時のことを覚えていたりいなかったりしたのだが、大事なことはすべて覚えていて、エドワードを困惑させたり赤面させたりした。
クピードー(キューピッド)の矢は必ず放たれ、必ず相手に当たるが、それは途方もない時間がかかるというおはなし。