暗き闇に咲けユダの指









「ひぃ……ぅ、あ、ぁっ」
 兄さんは頭の上で両の手首を、ボクの左手で弛んだシーツに縫い止められている。先程からがくがくと全身が痙攣していて、もはや意味のある単語を口に出すことが出来ていない。ボクはボクの体の下の、白い肌の上にぷつんと隆起する薄桃のちいさな果実と、兄さん自身でありながら兄さんの意思をまったく受け付けず存在をアピールするそれを、じっくりと、脳内のファイルに焼き付けるように見つめた。極限までこの手の快楽に弱い身体を調教する気はないけど、結果的にそうなる。
「……っ、……っっ、ァ……ぁ、あー…あぁっ」
 埋め込まれたボクの右手の指を、無意識にきつくきつく締め付けていることを何故かボクは容易に知ることが出来た。大き目の螺子を回す時のように、ゆっくりと捻じ込む。
「……!!! アッ、あっ、……! ……ッ、や、……ぃあぁッ……」
「ここ、いい?」
「くぁっ……っひ、ひぁ」
 びくん、びくん、びくん、おおきく震えて兄さんは吐精する。ぱたぱたと所構わず落ちるそれを見ながら、ボクは兄さんの顔に釘付けになる。唾液でしっとり濡れる唇を開いて、紅く小さい舌を見せて、長く濃いまつげと綺麗に切れ上がった目尻から大粒の涙が止め処なく溢れ出る。
 ああ、好きだ。好きだ。愛している。ボクの兄さん。
 吐精し終わらないうちに、ボクは埋め込んだままの指を動かした。兄さん、兄さんと呟きながら、ゆっくり、掻き混ぜるように。ぐっちゅり、ぐっちゅり、まるで感触を楽しむように動かされるそれに、兄さんはますます泣きじゃくりながらのた打ち回った。
「うァッ、……い、や、やめ……ッぅ、アァッ!! …ッ、あ、あぅ」
 ぴゅっ、ぴゅっ、ぴゅっ、精液は止まらず吐き出される。断続的に達している。この、達する時の兄さんの表情と言ったらどうだろう。
「あっ! ぁっ、あぁっ…アぁっ…あっ!」
 打ち上げられた魚のようにベッドの上で波打つ兄さんの身体に覆い被さり、兄さんをつぶしてしまわないように肌から1センチほど空けて、時々甲冑に当たる兄さんの振動にうっとりする。この行き過ぎた快楽から必死で逃げようとしても逃げられない、その兄さんを見るのがいい。ボクの幸せ。
 兄さんはたくさん涙を流して、動かなくなった。兄さん自身からはまだ雫が落ち続けているが、それもやがて終わった。
 兄さんの瞳は薄く閉じられていて、唇は薄く開いていて、いまだ荒い呼吸でいるが、失神したのだった。
 これでも持った方だ。いつもはほとんど一度で気を失う。今日はたくさん達してくれた。
「兄さん、兄さん……」
 ボクは掴んでいた手首から手のひらをはずして、兄さんの涙の行く筋も伝う頬を優しく撫でる。それから肩を掴んで揺さぶる。起きて、起きて。起きて。
「兄さん、兄さん、……兄さん」
 ボクは中に埋め込んだ指を少し引き抜いた。途端くちびるから音が漏れて瞼が震える。更に引き抜くと、ちいさな喘ぎと共に閉じた瞼が開かれた。
「……ン、ぁ」
「兄さん……」
 兄さんは覗き込むボクの顔を、焦点の合わない瞳で見つめる。普段の傲慢なくちびるで可憐な呼吸をして、ボクが気持ちのままに動かす指に気付き、唐突に身体を起こす。だけどそんなことも出来るわけがなくて、すぐに泣きそうな顔をして頭をベッドに擦り付ける。さきほどのことをすぐに思い出したようだ。
「ア…アル……アル…も、ほんと…に…」
「抜いていい?」
「いい…いい…か…ら…」
 ぐぷぷ、とさらにゆっくり引き抜くと、兄さんはちからの入らない手でシーツを握り締め、いやいやをするように首を振った。
「…や、やァッ…やだやだ…」
「何? 抜くのがイヤなの?」
 兄さんは喉を引き攣らせて呼吸をしながら、我慢が出来ないと言った風に涙を零してみせた。
「ま…マジで…ゆっくり…ゆっくり…お願…お願い…」
「抜く時が一番感じるんだね」
 これは確認だった。判っていてやっている。兄さんも知っている。だからいつもみたいに罵倒する余裕もなくただこくこくとうなづくだけだ。
 ボクは思わず笑った。この人は一体、今何を考えているんだろう。何も考えられないんだろう。ボクにどれほど貪欲な瞳で見られているかまったく知らずに、ボクをただひたすら感じて、翻弄されて。
 ボクは緩慢に指先まで引き抜いた。兄さんはまた涙をぽろぽろ流して唇を噛んで耐える。ボクはもう一度微笑んだ。大好きなボクの兄さん。
 もうすぐで楽になれる、と息を吐きかけた兄さんの一瞬の安堵を感じ取って、ボクは一気に指を突き入れた。
「ひゃぁぁぁああっ」
 ぐちゅぐちゅぐちゅと指を掻き混ぜると、兄さんは拷問を受ける囚人のように泣き叫んだ。死ぬほど愛しいボクの兄さん。
 終わりじゃないよ、当たり前だろう? あれ、もしかして終わりだと思ったの? うんでもごめんね、そう思わせておいたのも事実だよ、兄さんのそういう姿を見たかったの。可愛いね、ボクの言葉と行動を少しも疑いもしないんだ。ほら、ほら、動かすよ、動かしてるよ。ダメ? ダメだよね? もうダメかな?
「……ァッ、………〜ッ、……あぐ……あっあっ、あふ」
 兄さんの表情はもうほとんどなくなって、生理的な喘ぎを繰り返すようになった。泣くこともそろそろ無理になってきたようだと思うと、兄さんはがくりと体中を弛緩させた。体中が痙攣していて、喉から引き攣るような息をしている。二度目の失神だ。大人しくなった兄さんの張り詰めたところから、白いジュースが零れ出る。気を失いながら達している。ボクは兄さんの髪の毛を、頭皮からシーツに散らばる先まで撫で、それを飽きることなく繰り返した。ボクの指は、兄さんに埋め込まれたまま。
「ねぇ兄さん、起きて」
 聞こえてはいない。聞こえるはずがない。だけどボクは呼ぶ。
「兄さん、起きて。ボクを見て」
 声を荒げない。揺さぶりもしない。ボクはただ言いたいだけなのか? 兄さんを呼びたいだけ、呼び続けていたいだけ。違う、こんな小さな声でも気付いて欲しいのに。ボクは兄さんに埋め込まれた指を動かす。ほら、起きて。
「ひ………ぐ………ぁ」
 そんなに辛いなら起きなけりゃいいのに、兄さんの身体は因果な身体だ。自分の限界を超えているのに、身体だけは快楽を未だ享受しようとする。それに兄さんは耐えることができない。
「兄さん、兄さん、もっと動かしていい?」
「………………、」
「兄さん、もう一度イッてくれない?」
 兄さんはうっすらと目を開けて、ようやくボクの言葉を理解したようだ。首をやんわりと振って(それだけでも辛そうだ)、何か言おうとして喉からは掠れきった息しか出てこないことを知り、ただ呼吸をした。
「動かすよ?」
「………っ、………!」
 兄さんは目をきゅうと瞑り、必死で拒絶の表情をした。ボクの心は冷たく燻る。どれだけ払おうと降り積もる澱の中のボク。
「やめてほしい? 許して欲しい?」
 兄さんは微かに首を縦に振った。それだけの行動でも精一杯なのだ。ボクは、ボクの魂は言葉を紡ぐ。
「許してあげるから、ボクを好きと言って」
 兄さんの瞳にわずかに光が灯った。
「ボクだけを愛してるって言って。オレ以外のヤツと喋るなって、オレだけのそばにいろって、オレを嫉妬させるなって。お前さえいればいいって言って」
 兄さんは目を見開いてボクを見ている。涙の雫に縁取られた瞳が綺麗だった。
「オレにはお前だけだと言って。世界中の人が死んでもお前が生きていればオレは悲しまないって言って。兄さん。……兄さん。兄さん」
「………っひっ!! ………っ、………っ、ぅぐ……っ、かはっ」
 しつこく内部の律動を開始する。兄さんは半狂乱になって身を捩る。ボクの声は震える。裏返ってゆく。狂気の奥へ。自分の命を投げ出してもいいくらいに愛しい人に、ボクは何をやっているんだろう?
「……兄さん。……兄さん、愛してる。愛してる。愛してる。ボクだけを見て」


 ボクはおかしくなってしまった。貴方のせいなんだ。
 この気持ちをどうすればいいのか、誰も教えてくれないし、どんな古い蔵書にも載ってない。
 愛してる……。


 ずぽり、と勢い良く兄さんの中からボクは指を引き抜いた。ぎっ、と喉から血の混じったような息を吐いて、兄さんの身体はぐったりと弛緩した。
 ボクはもう動けなかった。兄さんを目の前にして、多分何も見えてないみたいに。ボクは頭を抱えて蹲った。愛してる、愛してる、呟く声が他人のようだ。
 ふっ、ふっ、ふっ、と身体に負担のかからない呼吸の仕方で酸素を取り込んでいる兄さんは、ああ、ボクのことを見てくれているのだろうか。ボクを赦すのだろうか。
「愛…してる…ごめんなさいごめんなさいごめんなさい兄さんボクを殺して下さいこれ以上貴方を苦しめたくない、愛してる本当なんだ貴方以外に何もいらないんだ愛してる愛してる…ころして…兄さん…もうころして……兄さん兄さん兄さん兄さん兄さん、兄さ」
 影、が落ちている。ボクのうずくまった白いシーツの上に。兄さんの短く苦しい呼吸が上から聞こえる。兄さんがベッドに手を付いて、膝立ちでボクに近付こうとしている。
 兄さんが何かを言った。……ボクの名を呼んだ。かすかに聞こえた。ボクは顔を上げた。赦されるためじゃなく、罰されるために。
「…………ル、」
 兄さんはやはりボクの名を呼ぶ。貴方の声を待っていた。もう長いこと。
「アル」
 兄さんはボクに向かって腕を伸ばす。ほとんど寄りかかるように、思うように動かない身体をボクで支えるみたいに、ボクの鉄の身体に両腕を伸ばした。兄さんはボクを抱き締めた。短い呼吸のままで、兄さんはもう泣いていなかった。
「な……にを、そ……、……」
 まともに声が出ない。ふぅふぅと息を整えて、ゆっくり、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「何……そんなに…………どうし………たんだ…………」
 どうした、アル。
 目の前が何も見えなくなった。兄さん、兄さん、ボクはここにいるよ。どこにも行ってない。貴方のそばにいる。
 兄さんはどうしたアル、と言った。
「………レ、は、お前、の……お兄……ちゃん……だ……、前、は、オレの弟……だ」
 掠れる声はきちんとボクの魂に届いた。ボクは兄さんを抱き締めた。ボクは赦されるべきじゃないのか。赦すのはボクでも兄さんでもない。誰も裁かない。
「……判ったか。……判ってるか?」
 兄さんは微笑んでいる。何でもないように、空に雲があるように普遍に微笑む。


 貴方を想う時は、ボクでいさせて下さい。貴方を想う時は、貴方の傍にいさせて下さい。ボクは顔を手で覆った。貴方を裏切ったはずの手で、指で貴方を抱く。ボクは兄さんを裏切らない。兄さんはボクを信じている。兄さん、ボクは貴方のことを好きになってしまったよ。
 兄さんのことを、愛してしまったんだ。
 兄さんのその微笑みを、愛してしまったんだ。


 清も濁も飲み込んで、ボクはこの指で兄さんの頬をなぞった。ボクを見つめる兄さんの優しい微笑を、ボクの記憶に、焼き付けるみたいに。この先何度でも死んでからも、この人を愛してよかったと思ってしまうほどの、貴方の微笑を。