なんだこりゃ。何でオレはこんなところにいるんだ。
 服を剥ぎ取られて、壁に追い詰められてて、酒臭ェおっさんに絡まれて、えーとオレはバカか?







迷えぬ子羊







 オレは今夜の食料を調達に一人で出かけて、安くて旨そうな肉と野菜が手に入って少しは気分が晴れて、そうだオレはとてつもなく機嫌が悪かった。
 で、アルの待っている宿屋に速攻帰るってのも出来なくて、わざとブラブラしながら路地を覗き込んだり、普段アルから、暗くなってからは絶対そういうところに行っちゃダメ!ときつく釘を刺されているよーなこと、要するにアルが見たら卒倒しそうなことばかりやりながら夜道を徘徊してたわけだ。そしたら怪しいオッサン達に声をかけられ、普段のオレなら目線すら合わせないで通り過ぎるのだが、事情でとにかくむしゃくしゃしていて、それからのことは……すべて興味があったからだとしか言えない。



 アルフォンス・エルリックはオレの弟で、この世でたった一人の兄弟だ。死んじまったやさしい母さんを生き返らせようと錬金術の禁忌に触れ、オレは右腕と左足、弟には全身を失わせてしまった。今の弟は魂だけの存在。入れ物はただの鎧だ。オレ達は元に戻る手掛かりを求め、世界中を旅して回っている。

 ある日、弟はオレに好きだと言った。どうやら兄弟の愛情じゃないらしい。オレは戸惑ったが、受け入れることに抵抗はそれほど感じなかった。何せ相手はもうこの世にたった二人きりになっちまった、大事な弟だ。オレは突き放すことは出来なかった。オレが持つアルへの引け目、体を失くさせてしまったことさえも、アルは関係ないと言った。何も考えないでと言った。
 アルは優しかった。いつでも優しいけど、特に夜、ベッドの上でオレを愛撫する様はまるでオレの母さんのようだった。そしてそれは最初だけで、いつもオレは途中からほとんど気を失ってしまう。アルはどうかしてしまったんじゃないかとも思うが、朝起きるといつもオレを気遣い、普段どおりに振舞う。好きだよと、言う言葉がとても胸に刺さる。ごめんなアル、オレはお前がオレに抱いているような気持ちを、お前に抱けない。アルはそれでいいと言って微笑む。もちろん顔も鎧だから、オレが笑っているように見えるだけなんだが。

 週に一度くらいのペースでアルはオレを抱く。魂だけの存在なのにとは思うが、オレはいつもそんなアルに乱れた姿を見せてしまう。オレは何をやっているんだろう、アルは何をやってるんだろう。オレに判るのはただ、アルがオレを好きだということ、オレはアルを嫌いになれないということ。アルと繋がっている時は不思議な感じだ。アルは何も感じないだろうに、感じてるオレを見て感じると言う。幸せだという。オレは何も言えなくなる。違う。オレも、幸せを感じている。

 アルの気持ちが判らない。きっと判らないのはオレ達の行為そのものだ。何も生み出さない。何の意味も持たない。体が元に戻っても同じことだろう。言えばアルが傷付くから言わない。アルにとっては意味のある行為なんだろう。オレには判らない。

 判らないとイライラできるのは科学者の特権だ。それがあるから研究できる。考えに没頭できる。突き詰められる。どうでもいいと放り出したらそれで終わりだ。オレはこんがらがっていた。アルが判らない。オレが判らない。どうしてオレは毎回アルに抱かれている?悩みすぎてハゲそうだ。15でハゲだけは勘弁だ。そう言えばアルはオレの髪の毛をとても気に入っている。オレの髪を撫でる時はいつも恍惚となる。綺麗だね。そう言って何度も何度も撫でる。オレの体が疼いてしょうがなくなるまで梳かれていたこともある。ハゲたらお前のせいだ。もう二度と撫でられねーぞ。早いトコ答えを出してくれ。

 オレ達がやっていることはセックスだと思う。オレは本でしか知らなくて、オレ達がしていることはいささか、いや大幅に違っているだろうけど、紛れもなくこれはセックスだ。



 つまり、知らない怪しげなオッサンたちに声をかけられてほいほいついてったのは、純粋に科学者としての好奇心から来てる。セックスって何だろう、アル以外の奴としてみたら一体全体どんな感じなのだろう、と。オレがアルの事をどうでもいいと思っていたり自分の貞操観念がどうのこうのって言う下らないレベルじゃねえんだ。それにしたって。

 オレは身震いした。……気持ち悪い。というか服を引っ張られた時点でオレはほぼキレていた。何とか踏みとどまったのはやはりオレの探究心の強さ。もうちょっと頑張れオレ。まだ何にもしてないっつうか何にもされてないぞコレ。何にも判ってない 。
 ちょっと待て。オレははたと動きを止めた。

 アルにはいくら触られても気持ち悪くねえぞ。こいつらは気持ち悪い。

 この簡単なことを、オレは知りたかったんじゃねえのか?

 オレは一気に合点が行った。
 オッサン達はオレが恐怖に顔を俯けていることを嬉しそうに口に上らせる。上玉とかカワイイとかいう単語が聞こえる。もうこんなところにいる理由はない。演技ともおさらばだ。
 オレは伸ばされた手をばしんとひっぱたいた。男が目を丸くして見つめ、それから激怒した。
「今更ナニ抵抗しやがってんだ! 楽しもうっつったのはそっちだろうが」
「それとも何? 陵辱プレイがお好みかな、カワイコちゃん?」
 ふっ。カワイコちゃん。誰に言ってんだその台詞。今まで思い切り猫被ってたと言えど、このオレ様の素敵ハンサムフェイスにはあまりにも似つかわしくない。オレは薄く笑みを浮かべて腰に手を当てた。
「気が変わった。帰るわ」
「……は?」
 唐突にズカズカ歩き出したオレを、男共はあっけに取られて見送りかけたが、途端に何か叫びながら襲い掛かってきた。ウザいウザすぎる。ごめんなさいオレはキレます。
「気が変わったっつってんだろ………オレに触んじゃねぇぇーーッッッ!!」
 合わせた両手の音を確認して壁に叩きつけ、轟音とともに神の鉄拳を作り上げる。我ながら見事な造形! 男共は面食らって見上げて、口を金魚みたいにぱくぱくさせてる。
 ご・愁・傷・様!



 宿屋の角でオレは立ち止まって衣服を整えた。入り口までいくとアルに見つかる。あいつは絶対に窓からオレの姿を探してるんだ。……よし。汚れてもないし皺にもなってない。この黒い一張羅は良く出来てる(その割には良く破る…)。肉も野菜もそのままだ。時間だってそんなに経ってない。とっとと部屋へ戻ろう。
「兄さん!」
 何だこのグッドタイミング。つーか鎧のまま夜にがしゃがしゃ一階に下りてきてんじゃねえよ! カウンターで酒をかっくらってた男がひゅうと口笛を鳴らした。
「ニイチャン、かっこいいねえ」
「アルお前アホか、部屋戻れ」
「んもう、兄さんがあんまり遅いから探しに行こうと思ってたとこなんだよ。ああ良かった戻って来てくれて」
「このオレ様に何かなんてあるか。近所迷惑だからほれとっとと行くぞ」
 ニイチャンそれ全身機械鎧ー?とかいう酔っ払いの声を背中に受けながら、オレはアルをひっぱって階段を上った。

 部屋のテーブルに店を広げる。
「見てみろアル、こーんなうまそーな骨付き肉がなんと210センズで手に入りました。野菜も50センズ以下。おいしそなパンも80センズ!お兄様はきっと素敵な主婦になれますねぇ〜〜」
「遅かったけど、何かあったの?」
 オレはうんざりした。何のために馬鹿兄貴やってんだ。何でこいつは魂になってもこんなに聡いのよ。
「うん。値切りすぎて」
「兄さん怪我してる」
 え、と思わず腕を押さえた。何で判るんだ。服の上なのに。アルは急にうろたえ始めた。
「な、何それ、本当に怪我してるの?」
「あ?……あ、おま、このっ」
 ハメられた。なんてこった。アルが腕を伸ばして、抵抗するオレを押さえて腕を取った。
「おいおいちょっと待て、嘘だよどこも何ともないから!」
「ちょっと黙ってて!」
 アルがオレの腕を捲り上げると、長いひっかき傷が出来ていた。あいつらに服を引っ張られた時だ。
「何これ」
「うん。ちょっと猫に」
「絶対違う」
 アルの声が震えている。オレはため息をついた。もとよりこいつに嘘を貫き通せるなんて思ってもなかった、その場しのぎであとから気付かれるくらいなら良かったのに。何も隠せない。隠したくない。オレは微笑んだ。
「なぁ、アル。ごめん。」
「な、なに?」
 アルの声は今にも泣き出しそうだ。こいつのことだ、頭の中でどんなにか恐ろしい想像をしていることだろう。とっとと教えてやらなくちゃ。
「お前が心配してるようなことは何もなかったよ」
「……じゃあ何で謝るの」
「オレが謝りたいから」
「どういう……」
「オレ、町のオッサンに抱かれに行った」
 アルの顎が外れそうになった(ように見えた)。
「な、な、な、な、な」
「でも腹立ったからぶっとばして帰ってきた。どこも触らせてない。服くらいだ」
「何……何それ、なんで……ほんと?ほんとに何もなかったの?大丈夫?」
 アルがオレの顔を両手で挟んで細かくチェックをした。腕や肩、背中、腰に足、すべてぺたぺた触って感触も判るはずがないだろうから多分目で確かめてるんだけど。オレはその間、心地よさに目を瞑っていた。
「やっぱりアルなら大丈夫だ」
「何が…?」
「おっさんに服引っ張られた時キレた、見られてる時超キモかった。んでもアルなら大丈夫だ。それが知りたかった。ごめん。もう絶対しない」
「………この、馬鹿兄」
「へいへい」
「鎧じゃなかったら殴ってる」
「どうもすみません」
「ひとりで外出禁止…馬鹿…!」
 アルがぎゅうぎゅう抱きしめてくる。機械鎧が擦れてヤな音立てるし、生身の部分が痛いけど、これはアル流お仕置きかな。
「ボクじゃ、ダメだったの?」
「うーん。それは正しくねえな。お前じゃないとダメだと思ったから確かめに行った。そんでもって理由を探りに行った」
「結果は」
「やっぱりお前でないとダメだった。確信。理由はひとつ」
 オレはニカッと笑った。
「イヤなもんはイヤなの!」
 アルは頭を垂れた。オレは疑問と疑惑がとけてスッキリしてるというのにこいつはまだ暗い。
「兄さん……その……ボクとしてること……ごめん」
「はぁ?」
「無理させてるの、判ってる…普通じゃないもんね…こんなことしてなかったら、兄さんも今日みたいなことしてなかったのに…ごめん…ほんとにごめん」
 もうアルはオレを抱いてはいなかった。オレに触ると傷付けてしまうかのように後ずさる。
 オレはため息を吐いた。
「うざいから泣くな。謝るくらいならするな。するなら謝るな。前にも言ったろ? お前はオレの弟で、オレはお前の兄貴だ。お前がどんなことしても変わらない普遍の事実だ」
「…………」
「お前、オレを抱くなっつったらガマン出来るか?」
「え………」
 アルはびくっとして口籠り、か細い声でいやだと言った。
「……絶対イヤだ。兄さんと離れたくない。一緒に居たい。ずっと繋がっていたい。……抱きたい。抱きたいよ、兄さん。ごめんなさい……」
「そうだろ?それでいいんじゃねえか。何を悩む必要がある」
「それでいいって、………兄さん、何それ」
「ええいやかましい!グダグダゆーな!このエドワード・エルリック様がお許しになってんだ、それでいいも何もあるか!大人しく従えこの下僕!!」
「げ…下僕…ボクはゲボクなんかじゃないよ!兄さんの弟だ!」
 オレはにっこり笑ってアルの腕をばんと叩いた。
「だろ?オレの弟だ、お前は」
 アルが目をぱちくりさせた(ように見えた)。
「これ以上文句いいやがるならオレはもう知らん。とりあえず腹減ったー。飯食うわ。あー悩んでたのがアホみてー。腹減ったー」
 くるりと踵を返してテーブルへ向かうオレに、ぼうっとしていたアルが気付いたように言った。
「あ…兄さん、買出し行ってる間に作ったホットミルク冷めちゃってるから、温め直すよ…ちょっと待ってて」
「ホーーーーーットミルクだと!いるかそんなモン!!待たん!今食う!」
「お砂糖たくさん入れたもん!絶対飲めるって!そのパンと一緒に食べなよ!」
「いらーーーん!飲まーーーーーん!!」
 ギャアギャア言い合いながらオレ達は笑った。何故か笑えてしまった。
 ああ良かった。アルも笑ってる。兄さんありがとうって、何だか泣いてるようにも見えるけど、笑ってる。
 アルが元気なかったらオレはどうしていいか判らない。

 アルが結局飲ませることに失敗したホットミルクを何とはなしに掻き混ぜている。
「兄さん、兄さんから…その…誘った、んでしょ?よくそのまま返してくれたね」
「いや無理やり帰りました。なんにもされてねーけど何かムカついたし全力で殴って帰った」
「ほんとに何もしてないのに?」
「ほんとに何もしてない」
「可哀想……」
「なんなんだお前は。そのまま手篭めにされろとゆーのか」
「いや……その人の気持ちの方が判るかなーって」
「どーゆー意味よ」
「兄さん綺麗だから。きっとその人たち有頂天じゃなかったのかな、そんなのが抱いてくれって言ってきたらそりゃあ誰だって……」
 ああああああアホだこいつ。どうしよう。さっきまで食ってた肉汁たっぷりの旨い肉が、途端に味がしなくなった。オレは無言で立ち上がった。
「えっ? どうしたの? どこ行くの?」
「そこまでゆーなら抱いてもらいに」
「わーーーーーーーーーーーーッッッ!!!!」
 物凄い速さでアルが飛び付く。やっぱり体術じゃこいつに勝てないなと思いつつ、オレの体をしっかりと抱きしめたアルの腕を、満足げに握り締めて囁く。

「そーだ。そーやってしっかり捕まえとけ」
「……え?」


 オレの弟。毒舌で抜け目がなくてオレより強くておまけにオレより背の高いむかつく奴。
 ほんとに何があっても手放せないのは、オレの方。
 それさえ判ってれば何だって許せちまう、なぁアルフォンス?