baby,baby,baby,
それはライラックパープルのいろ。
大きくて、暖かくて、傍にいればすぐに眠りにつけそうなほどの優しさを持つ彼が好きだった。
彼はときどき、何も言わず僕をうしろから抱き締めてくる。大体回りに人がいない時なので、それを誰かに咎められることはないけれど、その度に僕はうわあ、と思うんだ。どきどきと静かに、でも強く僕の胸を叩く心臓の上に彼の腕が被さる。暖かい腕。暖かくなる背中。「牛尾」ああ、この声がとても、とても僕に不思議な気持ちをくれる。この声は特別だ。屑桐以外には、こんな気持ちにはならない。とても不思議で、僕はどうしていいか判らなくなる。胸の鼓動はどんどん大きくなって、屑桐の腕はとても安心できて、僕は深く息を付く。そうすると屑桐は少し腕の力を緩めて囁く。「すまん」ああそうか、これ以上ないほどきつく抱き締められていたことにいつもそれで気付く。僕はとても嬉しくなって、彼の喉に頬を擦り寄せる、まるで恋人にキスをするように。いつものように、体中を巡る血潮が暖かく僕をのぼせさせることを思い描きながら。
抱き締めると力を抜くのが判る。俺にすべてを預けようとしているのか、それともどうでもいいのか判らないが、そのことは俺を安堵させるのに十分だった。離したくない。逃げようと思って欲しくない。こいつの顔を見ると自分のちっぽけなプライドが瓦解してゆくのが判る。不様で結構だ。そう思って感情のまま抱き締める。こいつは今、俺の腕の中だ。どこにも行かないだろう。だが頭で判るのと本能で理解するのとは違う。俺は我侭なガキみたいに強く強く腕に力を込める。勝手に込めてしまう。牛尾は深く息をつく。息をつくまで俺は自分がどれほど強くこいつを抱いているか気付かない。慌てて、それでも渋々腕の力を抜くと牛尾は笑う。声にこそ出さないが微かに笑うのが判る。牛尾は俺の喉に唇を寄せる。まるで恋人にキスをされるように。いつものように、体中を巡る血潮が熱く俺をのぼせさせることを思い描きながら。
「ひあ」
屑桐が牛尾の喉に吸い付くと、牛尾は回した腕に力を込めた。浅く息をついて、ぎゅうと抱き着いてくる。そんなにしがみつかれると少し邪魔で、牛尾の頬を両手で掴んで体から離し、一度瞳を合わせてからキスをする。
「ん」
キスをしたまま、少し大人しくなった牛尾の体を抱き寄せ、片手でカッターシャツのボタンに手をかける。指先から綿を通して伝わる牛尾の体温に、屑桐は変にもどかしくなる。腰に回した左手をはずし、両手でボタンを外していく。牛尾の唇は柔らかい。もっと、もっとだ。唇も肌も足りない。最後まで外してしまったシャツを肩から脱がせ、するりと落とす。あらわになった首筋から鎖骨にかけての線を手のひらで撫でると、牛尾の唇からひう、と息が漏れた。動揺しつつもかすかに笑って屑桐の首元に頭を寄せる。
「……あ、熱いねぇ」
「お前が冷たいんだ」
「、っふぁ」
牛尾の耳元に囁くとまたも体が揺れる。この過敏に反応する体が欲しくて堪らなくなる。俺がここにいるということ、コイツがここにいるということの証明。証明でなくてもいい、今それが判ればいい。
「牛尾」
右の手のひらは、牛尾の二の腕から肘へ。左の手のひらは鎖骨から胸の突起を撫でて脇腹へ。しどけなく床に横たわった牛尾の体はびくびくと震える。唇を瞼に落とし、軽く尖った鼻梁、ふっくらとした唇をなぞって頤を嚼む。
「牛尾、返事をしろ」
「あ、は、………はい」
薄く目を開けて、牛尾は恥ずかしそうに笑った。
「何だ、はいって」
「ごめん、どうして……いいか判らな、っ」
右の手のひらが突起に触れると、牛尾は息を詰めて目を瞑った。白くすべらかな肌の中で、その部分だけが熟れていて、屑桐の目を引いた。吸い寄せられるように唇を落とす。屑桐の大きな手のひらの下で、牛尾の冷たい肌が熱を持ち、確かに脈動する。
「ひぁ、あぅ」
吸い上げる度に漏れる声、揺れる体に酷く安心する。俺がここにいることを、コイツは確かに感じてくれている。
「屑桐」
「………」
「屑桐、屑桐」
「五月蝿いな。それしか言ねぇのか」
「だって、……っ、好きだって、言っちゃ、いけないんだろう……っあ、あ」
「……黙れ……」
「ひっ、あ、やぁ」
言葉はまるで自分の好きな玩具を弄ぶように、だが牛尾の肌を探るその手付きだけはしつこい程に優しく丁寧で、いっそ哀れだった。完全に屑桐に翻弄されているのに牛尾はそれをどことなく判ってしまって、ただひたすら彼を体全体で感じる。
「く、屑桐、やだ、もう」
「………」
「あ、離して、はなし……」
しがみついた屑桐の背中につよく爪を立てて、牛尾は甲高く泣き声を上げた。
「ひぁ、あぁぁんっ」
屑桐は牛尾を抱き締めた。体が濡れるのも構わずに強く強く抱き締めて、牛尾の髪の毛をなぜた。放出が止み、完全に体中の力が抜けてしまっている牛尾がそれでも屑桐にしがみつこうとしている腕を取り上げ、自分の背中に回させた。
「はっ……はっ……」
「牛尾」
「……はぁ、屑桐……」
「俺が判るか」
「……ん……判る」
「俺はここにいる」
「判るよ……屑桐、あったかくて、おっきいね……」
「牛尾」
呼吸の合間に漏れる舌足らずな声に劣情がせり上がる。屑桐は浅い呼吸を繰り返している牛尾の唇に唇を重ね、吸い上げた。
「ん、んぅ」
牛尾。牛尾。屑桐は何も喋ってはいないが、牛尾には聞こえた。自分を呼ぶ声。答えたいが、口を塞がれていては無理だ。力の入らない手のひらで、せめて屑桐の腕を掴む。まるですべてを奪い去るように舌を吸われ唾液を吸われ、呼吸をしようとした牛尾は深く侵入して来た屑桐の舌を吸い込んでしまい、咽せた。
「………っ」
慌てて屑桐が身を離すと、牛尾は体を起こして咳き込んだ。バツの悪そうに顔をしかめる屑桐に、牛尾は笑ってみせた。
「屑桐、舌もおっきい」
屑桐は何と返せば良いのか判らず、とりあえず髪をなぜた。牛尾は抵抗と言うものをしない。その言葉、概念すら知らないように。牛尾は猫のように目を細めた。心地良さそうに屑桐の手のひらに頭を預け、それから視線を下に移して、ああと声を上げた。
「ごめん。また汚しちゃった」
「いい。謝るなっつったろ」
屑桐は牛尾の髪をなぜながら、また唇を塞いだ。今度は重ねたまま動かない。大きな手のひらで牛尾の体を暖め、髪を漉いた。キスをしながら、屑桐はそばに置いていたタオルを手探りで掴み、濡れた牛尾の体をぬぐう。すべて拭い終えてから、屑桐は唇を離した。牛尾は息を吐き出して、しばらく呼吸を整えてから、笑った。
「屑桐は魔法使いだね」
「何が?」
「だって、キスをしたら、僕の体が綺麗になっちゃったよ」
屑桐も笑った。
「………触るだけで、キサマを汚せるしな」
「僕は汚れてたのかい?」
「………そういう意味じゃない」
屑桐は牛尾を引き寄せて、首筋に前歯を当てた。牛尾は、うん、判ってると呟く。
「嚼まないの?」
「嚼んで欲しいか?」
「どっちでもいいよ。痛いのは、嫌だな」
屑桐は返答もせず、つよく吸い上げた。牛尾の体は揺れる。屑桐は少し下にずらしてまた吸った。牛尾はびくびくと痙攣する。屑桐の視線の先には、今まで治まってはいたが、また紅く熟れ始めた胸の突起がある。そこへ到達するまでに屑桐は止めた。
「すごい……屑桐は僕の体に線まで引けるの?」
唇の跡を指で辿って牛尾は感心したように呟いた。
「線っていうより点線だな」
「ふふ。……でもびっくりした……」
「何が」
「も少しね、その、下まで行くのかなって思って」
屑桐は精悍な顔立ちで、ニッと笑って牛尾の顏を覗き込んだ。
「行って欲しかったか?」
牛尾は頬を染めて、えと、と口籠る。
「さっき、気持ちよかったんだろう」
「……判んない……頭の奥が痺れて……」
「どんな感じだった?」
「……凄く熱くなって、もっと、って……もっとしてほしいなって、思っただけ……」
「それを気持ち良いって言うんだ」
屑桐は牛尾の両肩に手を置いて押し倒し、唇を近付けてその部分を思いきり吸い上げた。
「っあ、……あ、あ、やぁ」
尖らせた舌先でくりくりと突起を転がすと、牛尾の体は面白い程に跳ねた。
「あっ、あっ、あぁん」
下は押しても動じない床、上には暖かい想い人のからだ。牛尾には逃げ場がなく、ただ体中に電流のように走る感覚に翻弄され、喘ぎ続ける。
自分がどんな表情で啼いているかこれっぽっちも判っていない。何においても自覚が足りない。日常生活においても、上目遣い、喋り方、しぐさ、話す内容、そのすべてが誘ってるようにしか見えないのだ。僕を組み敷いて。よがらせて、啼かせて、陵辱して下さい。そんな風に牛尾が言っているようにしか見えない人間もいるのだ。屑桐は眩暈がした。違う。違うと判っているのは自分だけだ。だから牛尾を抱いている。こんな、こんな無垢な奴が自ら玩具に望むはずがない。玩具の意味さえ判らないのだ。行為の意味すらも。自分はきっと罪を犯しているはずだ。牛尾は中学生で自分もそうで、恋愛感情上の行為を行うのに何ら障害はなく当然であるはずなのに、自分はひどく何も知らぬ幼い子供を抱いているようだ。
「気持ちいいか?」
「ん…ん…」
牛尾は涙を流して首を振った。ひとたびつよく吸い上げ、右手で突起を摘み上げながら屑桐はもう一度尋ねる。
「もっとして欲しいか」
「ん……うん、うん……ずきり、くずきり…」
しっかりした発音をすることすらままならない。体の熱を持て余し、想い人に縋るしかない牛尾。破壊衝動に駆られる。屑桐は唇を噛んだ。落ち着け。こいつを壊してしまう。
「たす…けて、ど…にか、して、」
震えながら立ち上がっている牛尾自身に左手を絡ませると、牛尾は背中を仰け反らせて喘いだ。
「あっあっ」
屑桐も必死だった。牛尾を楽にさせてやりたい。自分も楽になりたい。牛尾と同じところに行きたい。
「う、あ、だめ、だ、め…ぇ」
「牛尾…」
髪を撫でると、今にもごろごろと喉を鳴らしそうな顔をして屑桐の首筋に頬を寄せる。牛尾の頭は屑桐のおおきなてのひらにちょうど収まるサイズだ。その小ささにも屑桐は何とも言えない感覚に支配される。
「僕、やっぱり屑桐にこういうことされるの好き……」
「……そうか」
牛尾の声は掠れている。啼かせすぎたかなと思う。
「屑桐が…、」
牛尾が少し咳き込んだ。屑桐が顔を覗き込むと、牛尾はちいさく笑った。
「ふふ、声、上手く出せない」
屑桐は謝ることも出来ず、視線を彷徨わせた。
「俺が何だ」
「屑桐が…触ってくれるところ、全部気持ちいいよ。何よりこうしてたら、屑桐と一緒にいられるっていうのが、一番嬉しい」
「………」
「変な声いっぱい出して、ごめんね。それにたくさん汚しちゃった」
屑桐は腕を回して、体全部で包み込むようにして牛尾を抱き込んで、力一杯抱き締めた。
牛尾には何を言っても判らないだろう。自分の気持ち。二人の行為。対等のように見えて、これほど差のある気持ちもない。何度抱き締めても何度抱いても、全然足りない。ますます深く重くなってゆくだけだ。戻れなくなる。突き放した方がいい。そんなことが出来ればの話だ。屑桐は瞑った目にかすかに涙を滲ませた。自分にはこうする他ない。
一緒に、ずっと、いられたらいいのに。
屑桐の腕の中で牛尾が言った。もういい、喋るな。寝ろ。屑桐は壊れるほど牛尾を抱き締める。