奇跡と貴方と嬉し涙





「アル、アル」
 カタカタと機械鎧が触れ合う音がする。座ったボクの膝の上に乗せられて、ボクの首に抱き付くような形で兄さんが震えているのだ。
 兄さんにそんな声で呼ばれると途方もなく魂が震え出す気がする。そしてどうしていいか判らなくなる。自分の思うままにすればいいのだけど、それはあまりにも兄さんに負担をかけることにしかならない。この行為自体がもともとそうなのであって、今更言うのもおかしいのだけれど。それでもボクは雲を掴むみたいなことを当たり前のように出来ることを信じている。
「……っく、ア……ル」
 人間の体であったなら。
 ボクは夢想する。兄さんはこれほど泣かないだろうか。これほど喘がないだろうか。ボクを心から感じてくれるのだろうか。

 ボクは無言で兄さん自身を愛撫している。可哀想なほど張り詰めてたくさんの涙を零しているそれを、先ほどからずっと間断なく、やんわりと撫で、上から下までなぞり、先端を掠める。逆に片方の手では胸の突起を痛いくらいに摘み、捩じ上げ、擦り上げる。
「あっ……んぅ、や、ぁ……っ」
 完全に、達することを目的としない愛撫に兄さんも気付いたのか、不安と疑問に更に甘い声をあげてしまう。
 いつもはすぐに吐き出させてくれるのに、どうして、と。

 兄さんは、ボクが兄さんに仕掛けてくるこの行為を、ただ自身を愛撫して頂点へ昇り詰めさせるだけの行為と思っている。実際ボクはずっとそうしてきた。それだけしてきた。
 でもね、知ってる? ボク達は、繋がれることも出来るんだよ。ボクの最終目的はそれなんだ。
「ア、ル……アル……っっ、アル、アル」
 兄さんの声はほぼ泣きじゃくりに近い。こんな切ない声でボクを呼ぶのは、早くしてとせがむ意味だ。ボクにしがみついて、額を肩に擦り付ける。限界に近い兄さんのこの仕草は、僕の魂を甘く痺れさせる。この甘い声を、もっともっと聞きたい。めちゃくちゃにしたくてたまらない。ボクの鉄壁の理性なんてこの愛おしいひとの前じゃ、あってないようなものになる。
 でもダメだ。もうちょっと待っててね。今にすぐ、気持ちよくさせてあげる。今まで僕がしてきたことなんて吹っ飛んでしまうほどの、いつも強い意志をその瞳に秘めた美しい兄さんが、理性をなくして実の弟にしがみついて性をねだってしまうような、濃いはちみつのような、もう辛いこと、悲しいことなんて何も考えられなくなってしまうような甘い甘い快感をあげる。大好きなボクの兄さん、気持ちいいことだけ、あげるからね。

 胸の飾りを弄んでいた指をそっと後ろに持ってゆく。兄さんとこの行為を始めてからもうひとつき、何度も何度もここを愛撫した。先端からあふれ出た愛液を擦り付け、こね回し、少しずつほぐしてゆく。ここに何かを突き入れる、という行為は愛情でもなんでもない。ただの破壊行為だ。優しく優しく愛を込めて触れて、とろとろになって、ひくついて、自分から望むようになって、ようやく。

 兄さんは自分の体の中で、自分自身以外に気持ちよくなれるところを知らない。でも、ボクがあまりにもそこを丁寧に愛撫するので、兄さんは何も言わないけれど多分うっすら判り始めたと思う。ボクがそういう風に仕向けた。はっきりとは判らないから、じれったい快感と期待に、いつも泣きはらした目をボクに向ける。何か変だって、何をしようとしてるんだって。これで終わりなのかって。ボクに「もっと気持ちよくして」なんてことが言える兄さんじゃないから、このひとつきとても苦しかったと思う。ごめんなさい、兄さん。それもこれも全部、兄さんに痛い思いをして欲しくないからなんだ。無理矢理して気持ちいいことなんて、ないんだよ。判ってね。

 ボクは兄さんとひとつになりたい。この空っぽの、鎧の体だからこそボクは痛切に思う。兄さんだけが信じてくれるボクの存在。それは本当は体を傷付けてしまう。でも今のボクなら絶対にそんなことをしない自信がある。生身の体がない今だから出来ること。兄さんを傷付けたりはしない。理想じゃなくて現実にボクはそうする。

「兄さん、ここ、いいの、判る?」
 後ろの蕾を辛抱強く揉み解しながらたずねると、兄さんはもう声も出ない様子でこくこくと頷いた。そんな仕草にもボクは眩暈を覚えてしまう。可愛すぎるよ、兄さん…。
「あのね、これからここにね、ボクの指を入れるよ」
 兄さんの体に一瞬、緊張が走ったのが判った。それは当たり前のことなので、ボクは落ち着いて諭す。
「兄さん、今まで、イッてもしばらく体疼いてたでしょ? 本当はね、それだけじゃダメだったからだよ」
「ん……な、入れ…るって……はぁ、ふ」
「うん、うん、大丈夫だから…今までボクが慣らしてきたから、大丈夫だよ。本当はここが一番感じるんだ」
「……はふ、は……そ、んな」
「大丈夫……ちゃんと入るようになってるんだよ……ね?」
 そう言って、ほんの少しだけ指に力を入れた。途端に兄さんの体が強張る。ボクは兄さんの髪の毛を優しく撫でた。
「大丈夫…大丈夫だから。痛くないよ。ただちょっと、力……抜いて?」
「は……っぁ」
 ボクは膝の上に兄さんを乗せたまま、ゆっくり体を後ろへ倒す。完全に倒してしまわない、微妙な角度。兄さんがボクにもたれ掛かる感じになる。生身の体だと本当にきつい、中途半端な体勢なんだけど、鎧なら全然平気で、兄さんが一番楽な体勢になる。
「そのまま、体をボクに預けてて。しばらく何も考えないで」
「……ん……ふ……ぁ」
「そう…そう。上手だよ。深く息して……」
 ボクの指は何も抵抗なく兄さんの中へ入って行く。ボクはとてもとても嬉しくて、ことさらゆっくり指を進めた。
 つぷ……くち、くちゅ……
 兄さんの愛液で人肌に温められたボクの指が、ある程度兄さんの中に収められた。兄さんが可愛い愛液をたっぷりと分泌するので、もうほとんど抵抗がない。こんなこと、普通なら絶対痛いはずなのに、兄さんはかすかに目を瞑っているだけで、ちっとも痛そうじゃない。
「兄さん…凄い…入ったよ。じゃあ…ちょっとだけ。動かないでね…どう? 判る?」
 入ったと言われて兄さんが反応する。
「……っひ」
 唇を噛んで、ボクの肩口に顔を埋めた。兄さんの、指を銜え込んだところに思い切り意識がいったらしい。
「判る?」
「な……に、これ、すげ……っあ、は」
 兄さんは息を弾ませて、今まで感じたことのない不思議な快感に戸惑っているのが判る。そりゃあそうだ。普通は多少なりとも痛みを感じる部分なのに、これだけ散々慣らされて、逆に入れられたくてひくつくようになるまでボクは時間をかけたのだもの。
 ボクはほんの少しだけ指を動かしてみた。
「いっ……あ……っく」
 兄さんはびくりと体を震わせた。甘い甘い喘ぎがボクの体に染み渡る。
「大丈夫そうだね。どう? 全然痛くないでしょ?」
「な……これ……なん、なんで」
 ボクは慎重に慎重に、更に指を動かした。
「やっ! あぁ、あっふ、……あん、あぁっ……かはっ」
 兄さんは体を仰け反らせて悦がる。完全に愉悦の声だ。今まで、こんなに乱れたことがないっていうくらい、首を振って、額をボクの頬に押し付けて、泣きじゃくった。
 ボクは感動した。可愛い、なんて可愛いんだろう。
「やぁーっ、っちょ、待っ……ぁぅ、んぅ……あっ、あーっ」
 ひときわ切ない悲鳴を上げると、兄さんはびくびくと痙攣して、精を放出してしまった。
「……わ、兄さん……だ、大丈夫?」
「……はぁ…………はぁ………は、ふ………」
 ぐったりとボクの肩に弛緩する兄さんの髪を慌てて優しく漉く。…びっくりした。いくらなんでも早すぎる。
 兄さんはひどく息を吸って吐いている。感じすぎたんだね、お疲れさまと囁いて、ゆっくりゆっくり頭を撫でた。
 体が弛緩している今のうちに、と、ボクは小さく力抜いたままでね、と言ってゆっくりと指を抜く。兄さんの中は凄く狭いみたいで、かなり力を込めて調節しながらでないと動かない。動かすだけで兄さんのくちびるからひぅ、と息が漏れた。
 可愛い。可愛くて可愛くてたまらない、ボクの兄さん。
 キスがしたい。ぎゅっと抱き締めたい。ボクは魂だけの存在であるのにそんなことを熱望してしまう。
 ようやく指の圧迫から逃れ、今度こそ精一杯呼吸をしている兄さんがどこか上の空で喋った。
「アル……」
「何、兄さん」
「ぜん……ぜん、前、触ってねえのに……オレ」
「うん、そうだね。そういうところ、触ったから。……大丈夫だった?」
「ん……だいじょぶ。てか……」
 急に気が付いたように、兄さんは力の入らない手で顔を覆い、ふいと横を向いた。
 恥ずかしがってる。ボクは思わず微笑んだ。そりゃあそうだ。あれだけの時間で達するなんて今までになかったから。
 でもこれだけは今後のために聞いておかなくちゃ。
「兄さん、気持ちよかった? ボク初めてだったから…絶対に傷付けたくなくて。ちょっと心配なんだけど……痛くない?」
「…全然…つーか今抜いたよな? なんか、まだ入ってる気すんだけど……」
「ん、抜いたけど…そう? 何だかそれって嬉しい」
「な、んで嬉しいんだ」
「ずっとボクのこと感じてくれてるんだね」
「…………アホ…………」
「ね、兄さん。気持ちよかった?」
「……判んねえ……なんかもう……一杯一杯だよこのバカ。休ませろ」
「うん……兄さん、このまま寝てて。体拭いてあげるから」
「………ん………」
 あの兄さんが痛いとかもう絶対するなとか、一言も言わなかったのは奇跡に近い成功率の証だ。ボクは幸福になって、用意しておいたタオルで兄さんの体を優しく拭った。
「兄さん……愛してるからね……」
 ボクは兄さんがくれた幸福を身に抱いて、その晩は夜が明けるまで兄さんの寝顔を見守っていた。





 兄さんの体が、ボクを感じてくれた。痛いことなんてまったくない。気持ちいいことを知ってくれた。ボクはこの日を絶対に忘れない。ボクに体があったらきっと泣いていた。それくらいに嬉しかったんだ。
 大好きな兄さん。どうか、この幸せが貴方に伝わりますように。
 ボクの嬉し涙を、感じてもらえますように。