「覚悟はいいか?」




 アルフォンス・エルリックの横顔をじっと見つめていることは、二人で真昼間に町の往来を歩いている身としては非常に不自然なのだろうが、オレはまったく構わずその行為を続けていた。
 コイツは昔から「愛らしい顔」(村人・談)してたけど。
 人間の体を取り戻して年相応の背格好になって以来、ますます男っぷりが上がっている。
 あれから数年してオレも相当背は伸びたのだが、やはり弟は鎧の時と同じようにオレを余裕で追い越したまま、今でもオレより拳ふたつ分は高い。同じ兄弟なのに畜生と喚いたら「それは兄さんがこれを飲まないからでしょ」とパック牛乳を目の前で啜りながらのたまわれた。まったく変わらない余裕のある態度にオレはキレかけたが、それでこそオレ様の弟だ、なんて今まで絶対考えなかったことも考えた。昔はとにかく無駄にライバル心が強かったからな、今は人間的にちっとは成長しているらしい。
 たまに二人で待ち合わせとかしてオレが遅れてくると、大抵アルはそこらへんの可愛い女の子達と喋っている。アルから話しかけたのかその逆なのかは知らないが、オレの姿を見つけるとあっさりじゃあ、と言ってこちらに来る。兄貴としてはしまった、隠れててやれば良かったという思いで臍を噛み、次回は隠れていようと思っても何故かヤツはオレが近くに来ると判るらしく、隠れてもあまり意味なくオレを見つける。見つける前はほぼ誰かと喋っている。要するにヤツはモテる。
 昔であれば「何でアルばっかり!」だったろうが、オレは昨今、この「カッコいい」(村人・談)弟を見ていると口元が綻ぶ。

 まあ何つってもこのオレ様の弟だからな!

 というワケだ。
 オレだって非常にモテる部類だが、いかんせんあんまり興味がない。昔はスケベ心で女の子にキャーキャー言われたらそれなりに嬉しかったが、今は色々人間関係のしがらみも出来、日常も忙しく、別段女の子にモテようがモテまいがあまり関係がない。アルの方がさぞかし嬉しかろうと思う。
 そんなワケで、往来の視線がアルに集まっていることを意識しながら、オレは優越感に浸っていた。ふふふふやはりオレ様の弟はカッコいいな! すっと尖った鼻梁、優しげな瞳、きゅっと結ばれた唇、清潔そうに整えられた金髪、すらりとした背格好。男前の頬が、かすかに赤くなっている。あれ?
「……兄さん」
「お、おう」
 唐突に呼ばれて、しかしアルはこちらを向かずに何故か怒ったように(いつの間に?)すたすたと早足で歩き続ける。
「あの。悪いんだけど、さっきからじろじろ見るの、やめてくれない?」
「何で」
「何でって……!!」
 歩みを止めてアルはこちらに向き直った。頬がさっきよりもずっと赤い。
「どーしたんだよお前」
「どうしたもこうしたもないよ、何なの?」
「何なのって」
 オレは肩を竦めて見せた。
「オレの弟はカッコよくってモテて嬉しいなあと兄ながら思っているだけなのですが」
 アルの眉が微妙に、それこそオレとウィンリィぐらいにしか判らないほど複雑に寄せられた。腑に落ちない時と嬉しい時と怒ってる時に出る表情。
「何それ……ボクがモテると嬉しいの?」
 うわーなんだなんだ怒ってるなぁこれ。アルフォンスは普段温厚な分、どこで何がキレるかまったく判らない。俺はちょっと困った。
「……えーと。アルフォンスさん、オレが嬉しがったら何かマズイですか?」
「いやマズイっていうかさ。何で嬉しいワケ?」
「だってオレの弟だもん。カッコいいと嬉しいだろうが」
「……………」
 あ、ちょっと顔が歪んだこのアルの顔は知ってる。人間の体に戻ってから結構良く見る。これは間違いなく嬉しい時の顔だ。
 と、何故かアルは肩を落とした。
「……なんでモテると嬉しいのか……っていうかもうホントこの兄貴どうにかなんないかなぁ……」
「は? おいおい何だお前、喧嘩売ってんのか? 言いたいことがあるならハッキリ言えよ」
 アルはため息を吐いた。
「じゃあハッキリ言うよ。ボクはモテたって嬉しくない。ボクが惚れてるのは兄さんだから、兄さんだけにカッコいいと思ってもらえれればそれでいい。惚れてる人に独占されたいと思うのは普通だろ。お前がモテて鼻が高いとか言われると物凄いへこむ。ヤキモチ焼いてくれとまでは言わないから、せめてそんな事本人に向かって言わないで。ショックでホント脱力しちゃうから」
「……………………すいません……………………」
 脱力したいのはこっちなんですけど……この瞬間脱力剤め……。
 いや、ていうかね、実の弟に告白されてから早数年、この地雷を踏むのは一体いくつ目だオレよ? ほんとすいませんアルフォンスさん学習能力なくて。
 知らず頬に血を上らせるオレの手をアルがいきなり掴んで歩き出した。
「止まってないで行くよ」
「……へー」
 掴まれた手のひらが熱い。どうにも、途端にイシキしちまって参る。向こうも向こうで複雑な心境なのだろうかいつもより歩幅が広い。オレは早歩きというよりほぼ飛んでいるように歩く。ああむかつく、この足の長さの違いよ!
 アルが急に速度を落としたので不審そうにアルの顔を見たら、ヤツは掴んだオレの手を口元に持っていき、そっと口付けた。
 ちょっと待てお前今ここ街中なんですけどー!!
 いつもなら蹴りの一発でも食らわしているのだろうが、何分さっきのこともあるのでオレもそうヤツを無下には出来ない。そして多分アルも判っていてやっている。うわぁえげつないったら。
「でも」
 アルは唇を離して、俺に向かって自嘲めいた微笑を見せた。
「ボクは兄さんのそんなところに惚れてるんだから、しょうがないよね」
「…………ぐ………」
「好きだよ、兄さん」
「………………」
 オレは言葉もなく固まってしまった。このアルの顔、微笑み、手のひらの熱。

 好き好き言わないで頼むから、と前に言った時に、それだけは言わせて頼むから、と言われた。どうしたらいいんだオレは。アルの気持ちも判らないではない、というかそもそもオレは弟に甘いと思う。何で許してるんだこういうことを。むかーしにそれで悩みまくってハゲそうになったことがあるが、若さゆえの短絡的思考であっさり解決した。…弟なんだから許してるんだろう。

「兄さんはさ、僕のことモテるっていうけど、兄さんの方がモテるよね」
「…そーか?」
「だってみんな兄さんのこと見てるじゃない」
 まただコイツ。弟の欲目。
「アホか、お前のこと見てんだろ」
「違うよ。兄さん綺麗だもん。…凄く。しょうがないとは思うけど、でも悔しいなあ」
「…おお。何だ悔しいのか弟よ。やっぱりモテたいんじゃねぇか」
「綺麗な兄さんをじろじろ見られたくないんだよ」
「……………」
「兄さんはボクのものだもの。ねえ兄さん」
 そう言っててのひらをぎゅっと掴んで微笑みかける弟の姿は、端から見りゃどんな映画俳優にも負けないくらいの男前っぷりで、オレは酷くうろたえた。何の前振りもなくコレじゃあ、心臓に悪いと思う。何度も言っている気がするが、弟は途方もなく美形である。これがアルフォンス君かー本気で迫られたら私でも落ちてしまうなあはははなんて言っていたのは弟の体を錬成後に初めてアルフォンスを見た昔の大佐だったか。
 そういうワケで、どうしたらいいんだオレはー、さっきからオレひとりで針のムシロだー、うわーんとらしくもなく心の中で泣きに入ってみるオレである。アルはふふっと笑っている。何でだ?!
「ボクひとりで幸せ者のような気がする。……兄さんの手、あったかいね」
「そろそろ離せよ。……言っとくけどお前だけが幸せなんじゃないぞ」
「それってどういう意味?期待しても…」
「お前のことを抜きにしてもオレは今幸せってこった」
 何それ、とみるみるうちにアルは情けない顔になった。はっきり言って今のアルを言葉一つでここまで落胆させられるのも兄貴の特権と言うか惚れられたものの強みと言うか。
「でも兄さん、ボクのこと嫌いじゃないよね」
「……そうだぞ。馬鹿と呼んでくれ」
「何でさ。ボクのほうがよっぽど馬鹿だよ。兄さん馬鹿」
「へーえ、良くお分かりじゃないですかアルフォンス君」
「判っててくれて嬉しいよ。ボクが兄さんしか見えてないってこと」
「え…ええまあ…」
「許してくれてありがとう」
 オレは複雑だ。何もこいつのために許してやってるんじゃない。オレのためだ。オレがこいつに嫌われたら困る。まぁ好かれすぎても困る(実際困っている)が、嫌われることに比べたら全然いい。こういう時オレはアルフォンスなんかよりよっぽどブラコンじゃないかと思う。アルはオレのことを兄としても好きなのだろうが、それ以上に一人の人間として恋心を持っている。でもオレはただひたすら弟だからって理由で離れられない。うわあブラコンだなオレ。
「大好きだよ、兄さん」
「……お前、言えばいいって思ってるだろ」
「だって好きなんだもん」
 アルフォンスは今にもスキップしそうなまでに上機嫌だ。何でだと思ったら、さっきからずっと手を繋いでいる。今まで外ではやめろと言ってきたから、オレと手を繋げるのが嬉しくてしょうがないんだろう。
 …可愛いやつめ。
「兄さん大好き」
「あーもうハイハイ判ったからもう」
 よく質より量と言うが、アルには当てはまらない。こいつは魔法でも使えるんだろうか、こいつの口から出る「好き」はいくら言っても濃度が変わらない。あんまり好き好き言ってもありがたみがなくなると言うがとんでもない。どういう事だ。……ほだされる。ほだされるってホントに。オレはコワいよ。
「ふふっ」
「上機嫌ですねぇアルフォンスさん」
「だってね、」
 アルフォンスは俺の顔を覗き込んで言った。
「兄さん揺れてるでしょ」
「そりゃ揺れるわい!!!」
 がーっと思わず叫んだ。アルフォンスは目をぱちくりさせている。…やっちまった。地雷本日二個目。
「……いや。違う。お前うるさいからほんと」
「うん。判ってる」
「お前は弟だ。それは変わらないからな」
「それでいいよ。兄さんはボクの兄さんだもの。でも」
 アルフォンスが、今まで見たことのない極上の微笑を浮かべて、オレの耳元で囁いた。

「覚悟しといて。そのうち絶対、オレにはこいつしかいない、って思わせてみせるから」

 いや、もう思ってます。
 そんなことを思いながら、みるみるうちに顔に血が上るのを自覚した。





 どこまでも純粋で馬鹿な弟ではあるが、一番馬鹿なのってオレなんじゃねぇか?










※おまけ↓

「兄さんってすごくすごく綺麗で可愛くてスタイル良くて美人で、ボクと並んで歩いてたら凄くお似合いのカップルだよね。あんなに可愛い人が一人の人のもの?!みたいな!ボク達がキスとかしてたらきっとみんなの嫉妬と憧れをボク一人が受けちゃうんだろうなぁ、参ったなぁ〜、でも兄さんはボクだけのものなんだからしょうがないよね、みんなには悔しがっててもらわなきゃ。ねえ兄さん?」
「しょうがねえのはテメエだーーーーッッ!!!(真っ赤)」
「可愛いなぁ……ほんとメロメロなんだけど兄さん……」
「病院へ行け、連れて行ってやる…!!!」


 ……こういう台詞を入れたかったけど無理でした(当たり前だ)