諸手を挙げて降参出来るってのは、案外幸せなことらしい。


honey honey tyrant






 ボクは家に来た封書や手紙を仕分けしている作業中のまま、うっかり固まった。うっかりというのはボクの名誉のために言うと正しくない。でもうっかりだこれは。
「に…に…に…兄さん」
「何してんの? あ、仕分け? 溜まってたもんなー」
 思わず上ずるボクの声を気にもかけず、後ろから抱き着いてきた兄さんは暢気に言った。
「ああ、懐かしいなァこれ。ウィンリィも結構マメなトコあんだよな」
 ボクが手にしていた暑中見舞いのはがきを見て兄さんはそう言ったが、ボクはほとんど聞いちゃいなかった。聞ける状態じゃない。

 あの。何で抱き付いてんの兄さん。

 声を大にして聞きたい。でも兄さんはボクに抱きついていて、あー何なんですか。何やってるんですかエドワードさん。アルフォンスは錯乱中です。大大大大好きな人が、日頃から触りたくて抱き締めたくてたまらない人が、滅多に触れさせてくれない人が、ボクの後ろから体を密着させてるんですけど、それも普通じゃなくて結構擦り寄られてる感じがするんですが、そう思うだけなのかもしれませんが、兄さんはあったかくて柔らかくて、何ですかこのいい匂い、うなじに触れそうで触れられない兄さんの肌、肌が、熱が、うーわー
「…………兄さん…………」
「ワリー、ちょっとこーしてみたい気分なのよオレ。いーだろたまには」
「よく…良くない…心臓に悪…」
「あ! ちょっとタンマ」
 おなかに回された兄さんの腕を取り上げようとすると、兄さんからストップがかかった。
「触んな。とりあえずこのままで」
「な、な、何がしたいのさ」
「だからスキンシップ。たまには」
「触るなって何さ」
「お前から触られるのがイヤ。オレがやる分にはいい」
 何なんだこのキングオブ自分勝手な人はーーー!!
 兄さんは頬をボクの肩に摺り寄せている。回された腕から、兄さんの胸からぬくもりがじんわりと広がる。ボクは腹からぞわぞわとしたものが競りあがってくる感覚を覚えた。
 大体、毎晩毎晩ボクは兄さんに触れたくて理性と熾烈な戦いをして結局右手が恋人(すいません)状態だと言うのに、兄さんからこんなことを仕掛けてくるなんて酷い。いっそ殺されたほうがマシだ。
 ボクの大好きな人。
 ぶっちゃけヤバいです。下半身が。兄さんは気付いてないと思うけど、ああ前から抱き締められるんじゃなくて良かったと思いながら、兄さんはそこまで計算してるのかもとも思う。何せボクは兄さん本人に向かって、近づいたら欲情する宣言をしちゃってる身なので。
「アル、お前すげえカッコいい顔してんぜ」
 兄さんが笑うと、ボクの体全体に震えが広がる。これが欲情してる顔です!と叫びたかった。
「兄さん。真剣に死にそうです」
「まーなー、だろうなあ。でも我慢して」
「……デキマセン……」
「師匠の教えを思い出せ! 自分の欲を抑える瞑想」
「無理だー!!」
 兄さんが笑っている。自分の弟を拷問にかけて何が楽しいんだろう。ああでも、兄さんが暖かい。…生きてる。声がする。ボクと喋っている。こんな幸せは、世界のどこにもない。ここにだけある。ボクはぐらぐらした。
 兄さんは笑って、ボクの背中に顔を押し付けてきた。……キスしてる。シャツ越しに。ボクはばさばさと手に持った封筒を全部落とした。
「……っ……!!!!!!」
「あーなんか幸せ。久しぶりだなぁこういうの。お前中々させてくんないしさ、キツイと思うけど我慢してくれよな」
 限界です。限界だからほんと。
 今すぐ振り向いて抱き締めて、抱きすくめて押し倒して唇を吸って兄さんの肌に触れて鎖骨をなぞって乳首を嘗め回して中略(もしくは理性)、悦がらせたい。
 実際、表彰ものの忍耐だと思う。知ったらあの師匠でさえ褒めてくれるに違いないレベルでの。
「兄さん…抱きたいよ。凄く抱きたい」
「うん。ごめん。我慢して」
「我慢出来ないよ……」
「ごめん」
 何で兄さんがこんなことをしているのかとか、聞いたら良さそうなものだけど、ボクは何となく判る。兄さんは結構スキンシップは嫌いじゃない。でもボクが遠ざけてきた。ボクは兄さんに恋をしていて、常にこの手に抱き締めたくて、セックスがしたいと思ってる。でも兄さんはそうじゃない。普通に弟として見てくれてるから、ボクのこの不埒な想いは成就させちゃいけない。大好きな人の思いを優先させたい。そのためには不必要に近付かないことが第一だった。それが多分、兄さんが自分で思ってるより、淋しい思いをさせてしまっていて。
「ごめんな、アル」
 兄さん。ボクの大好きな兄さん。いつもボクのそばにいて、ボクを助けてくれて、ボクのそばで笑っていてくれる、世界中で一番好きな人。
「違うでしょ。ボクがごめん、でしょ」
「何でだよ。何でお前が謝るんだよ。お前すげえ今キツイんじゃねぇの、でも我慢してくれてるし」
「今のことじゃなくて。…ごめん。兄さん、淋しかった?」
「淋しいって……まあ……ほら、小さい頃は良くしてたし」
「兄さんのこと、好きになってしまってごめんなさい……」
「しょうがねえじゃん。好きになろうと思って好きになったんじゃねえだろ」
「うん……」
「むしろオレの方が申し訳ない」
「いや、そう思ってるならいっぺんくらい抱かれてみたら?」
「やだ。」
「……………」
 懐柔されないなぁと苦笑する。こんなところに惚れたボクが、これしきのことでくじけていられない。
「兄さん。抱きたいなぁ」
「……………」
「鎧の頃はしてたのに」
「いや…あれはな…お前とゆー気がしなくて…」
「えっ?」
「あ?ああ、違う違う。そん時だけ、お前とやってる時だけなんか現実感がなかった。行為自身の不思議さとも相俟って」
「…ふぅん…」
「お前、あったかいなー。良かった。お前生きててくれて」
「そりゃ生きてるよ」
「や、何かオレって幸せだなーって」
「ボクも幸せだよ」
「欲情まみれの忍耐の真っ最中でもか」
「それを兄さんが言う?ほんとに押し倒すよ!!」
「ははは、ワリーワリー」
 なんか落ち着いてきた。人間の体って凄いと思う。本当に気の持ちようで、あんなに痛いくらい反応してた下半身が収まってきた。大好きな人を傷付けないようにすることは、きっと出来ると思う。
「兄さんはさ。……ボクがいつか、兄さんを普通に見ることが出来るようになるって思ってる?」
「んー。判んねえ。どっちでもいいし」
「もっと真剣に考えて欲しい……」
 ボクがジト目になると、兄さんはくすくすと笑った。
「ワリ。だってオレ別に困ってないし」
「イヤじゃないの? ボクいつもいつも兄さん見て欲情してるんだよ?」
「いや…まあ…それを改めて言われると…。つーかアレだろ、お前自身がいつか普通に見られるようになったらなって感じだろ?」
「それはないよ。考えられない。兄さんが好き。愛してる。兄さん以上のひとをボクは知らないし、兄さん以外のひとを愛したくない。ていうか出来ないよ。兄さんみたいな人、いないもの。ボクは兄さん以外いらない。兄さんだけが欲しい。ボクはずっと兄さんを見て欲情し続けちゃうと思うよ」
「…………なんか離れたくなってきた」
「でもタイミング逃しちゃったんだよね」
「うう。やられた」
 ボクは抱き付かれたままくすくすと笑った。

 兄さんが大好きだ。ボクのことを好きじゃなくても。

「アルフォンスさん。オレはちょっと反撃したいと思います」
「いま十分してると思うけど。なに?」
 ボクが言い終わるか言い終わらないかのうちに、兄さんはボクのうなじに唇を当てて、思い切り吸い上げた。終わるとすぐに体を離し、ひらりと踵を返してすたすたと歩いてゆく。
「さて、オレは部屋の片付けをしに行きます。お前も仕分けさっさと終わらせろよー」
「……………ちょ…………」
 頭の中が真っ白だ。それから真っ赤になる。兄さんの唇。ボクはそろそろとうなじに手をやる。兄さんの唇のあと。柔らかな、熱いくちびるの。
「こ………このバカ兄貴………ッッッ、責任取れーーーッッッ!!!」
 




 今夜もボクの恋人は右手らしいです…。ていうか当分。