い、運命はノンストップ・ゴーゴー









 ぱちぱちと爆ぜる焚き火に手をかざし、オレはガタガタと震えている。
 ああ、寒い。今日は野宿なのだ、この寒空に。大分暖かくなってきたとは言え、やっぱり暦の上でだけだ。調子に乗って歩きすぎた。もう今から街には戻れない。
 この焚き火はアルが焚いたものだが、アルは何故か非常に慎重にそれを行っていた。いつもと違う様子にオレは首を傾げていたが、この寒さの前にはどうでもいいことだった。
 アルはさっきからずっと同じポジションにいて動かなかったが、唐突に、オレを手招きした。
「兄さん、おいで」
「は?」
「いいから。ボクのトコに来て」
「何だよ」
 そうは言いつつも足は勝手にアルの方へ向かう。アルがおいでというのだから何も間違いはないのだろう。オレの身と頭が知っている。
 アルはオレを抱き締めた。オレは冷たさに覚悟していたから驚いた。
「あぁ…。あったけー」
 アルは小さく、本当に小さく良かった、と呟いてオレを抱き締める腕に力を込めた。
 本当に暖かい。温い。縮こまっていた体がほぐれてゆくようだ。焚き火の強烈な熱さとは違う、アル独特の、じんわりとした温度。アルの体に頬を寄せると、アルはオレの頭を優しく五本の指で包み込んだ。
 オレはアルの体に擦り寄って温まりながらとある確信をした。オレは深い溜め息を吐いた。
「…お前、元の体に戻る気ないだろ」
「えっ!?」
 アルの驚き方は、隠し事がバレたような響きだった。
「この体感温度は完璧だ。体温を感じられないはずのお前がここまで正確に調節出来たのは…視覚からの情報に頼るしかない。鋼鉄の色の変化、踏んだ草の様子、風向き、薪の量、時間…こんなことを調べ上げる事で時間費やしやがって。お前が読む本の内容をオレが知らないとでも思っていたのか」
「………」
 アルはがしゃん、と俯いた。
「元の体に戻るのを諦めたわけじゃないよ。でも、ごめんなさい」
「ごめんで済むか! 大事な閲覧時間を、下らねえ、こんなことで大方」
「下らなくない! ボクにとっては大事なことだ。兄さんのこと、暖めたいんだ。ずっと思ってた。寒そうだから」
「どうでもいいんだよそんなことは! 元の体に戻ることを優先しやがれ」
「どうでもよくない! 大体そんなに時間費やしたりしてないよ、こんな計算くらい朝飯前なんだから」
「うるせぇこのバーカ! 口答えすんな!」
「口答えって何だよ師匠じゃあるまいし! ボクだってしたいことくらいしたっていいでしょ!」
「何でしたいことがこんなことなんだよ! もっと他にあるだろがいろいろ!」
「とりあえずこれだけしておきたかったのー! もう済んだことなんだからごちゃごちゃ言わないでおとなしくあったまってればいいでしょバカ兄貴!」
「バカって何だてめえに言われたくねえよこのバーカ!」
「バカって言う方がバカなんだよバーカ!」
「バーカ!ターコ!マヌケ!」
 ああ、もう。
 ほんっとーに、バカなんだから。
「ああ、もう」
 アルはますますぎゅうぎゅうとオレを抱き締めて(実は痛い)、ぼっそりと言った。
「喧嘩したいわけじゃないんだ。……兄さん、あったかい?」
「……あったけーよ。すごく。これなら一晩でも二晩でもぜってー風邪引かねーな」
「うん。それも計算した」
「………バカアル」
「兄さんがあったかくなってくれて、凄く嬉しい」
「……………」
「良かった」
 オレはアルに抱き締められているフリをしながら黙ってしばらく抱き付いていたが、もう一度溜息をついて呟いた。
「アル。お前しゃがめ」
「しゃがむ? ってこう?」
「そう。そんで目ぇ瞑れ」
「瞑れってったって」
「瞑った気になれ」
 アルはしばらく時間をおいてから、瞑ったよ、とちいさく言った。オレは思いっきり背伸びをして(アルはちゃんとしゃがんでいる。何も言うな)、アルのとがった頤にくちびるを押し付けた。冷えた唇がじんわり温まる。アルって、暖かいな、閉じた瞼の裏でそう思った。
 アルは動かずにじっとしている。手のひらだけがオレの頭をゆっくり撫でる。オレはそのまま、好きなようにさせていた。アルに唇を当てながらオレは静かに呼吸をした。アルの体温と呼吸が聞こえてくるような気がした。
「兄さん、キスしてくれてるの?」
「さぁ?」
「物凄く間違いなくそんな気がする」
「目を瞑ってて何も見えてない人は黙ってなさい」
「目を瞑ってて何にも見えてないけど、絶対に間違いなくキスしてくれてる気がする」
「うん。気のせいだなぁ」
「凄い間違いない気のせいだなぁ」
「お前の気のせいは間違っている」
「そういうことにしておこう」
「そういうことじゃなくてもそうじゃない」
「…兄さん、ボクなんだかこんがらがってきた…」
「とりあえず黙ってれば?」
「そうだね、キスって黙ってするものだよね」
「いやキスとかしてねぇからオレ」
「間違いなくこれはキスです」
「そんなにやめて欲しいかお前」
「ボクはなーんにも見えてません。兄さんが何をしているのかさっぱり判りません。ああもうほんと何してんのかなー兄さん。知りたいなぁ」
「よろしい」
 つーか、バカだ。可愛すぎる。ていうかアホだこいつ。オレは何だか一気に満足してしまった。ふ、とアルの後ろを見遣ると夜空にちらちらと微かな斑点。
「兄さん、雪だね。……えへへ」
「何その嬉しそうなカンジ」
「ね、どうして雪が降るか知ってる? 気象関係のことは抜きにしてだよ、兄さんくどくど説明し出しそうだから先手打つけど」
「喧嘩売ってんのかお前は。……何でだよ」
 アルは大概、こういう時は突拍子も無いことを言い出す。はっきり言ってオレよりガンコなので、そういう時は大人しく促してやるに限る。
「もーっとー好きーなーひとーつーよーくー」
「……?」
「抱き締ーめーなーさーいとー雪はー降ーるーのー」
「………」
「あれ? 知らない? この歌」
「知りません…」
「いやでもこういう歌なんだよ。判った?」
「いや、何が?」
「だから雪が降るわけ! えへへ。だから今夜はこのままずうっと兄さんを抱き締めてるんだ」
「はいそうですか……」
 アホというよりなんだ。もうアレだ。表現方法をもうオレは知らない。




 オレは強く願う。この弟のバカさ加減と、このぬくもりがずっと変わらないといい。
 なんだかまだ体を(オレごと)揺らして歌っているアルに黙って抱き締められながら、オレは久々に暖かな眠りにつく。