これでもオレは色々とくれてやる気満々で毎日生きてんのよ?





 愛よ!収穫の女神よ!





 ある日オレがソファに座って読書に没頭していると、家の用事を済ませたらしいアルフォンスが隣に座ってきた。目の前の本はとてつもなく面白く、オレがそれに気付いたのは多分かなり時間が経ってからだった。何せヤツは何も話しかけなかったし、第一ヤツはオレの弟で、オレと気配が一緒であるので、オレの読書を妨げる何の要因にもならない。
 ページを捲る際、視界にちらりとアルの顔が見えた。オレはあーアルがいるなーと思い、また読書に夢中になっていると。
 あ、髪の毛触られてる。
 触るというか撫でるというか漉くというか、とにかく触られている。それでもオレはまったくどーでもいいのでそのまま体勢を崩さなかった。横でアルが溜息を吐いた。溜息を吐くと幸せが逃げると言うが、そういう種類の溜息ではなかった。
「……可愛いなあ」
 ぼっそり。
 オレは可愛いといわれるとむかっ腹が立つタチで、アルもそれを知っている筈なので、オレはページを捲りながら言った。
「喧嘩売ってんのか?」
「売れるものなら売りたい…愛を…」
 またもぼっそり呟いたアルの、そのあまりにも生気の無ささにビビッて思わずアルを見た。
 ヤバい顔をしている。
 生気がないんじゃなくて、抜け切って呆然と…? いや違う。これは恍惚の顔だ。
 アルフォンスは顔立ちに気品がある。(オレの弟だし当然)キリッと唇を結ぶとオレでも見蕩れるほどに絵になり、微笑むと周囲の雰囲気ががらっと変わる。そんなアルの。
 口は半開き、目も半開き、眠そうなんだが絶対眠ってたまるかというか異様にギラギラしたオーラをまとわりつかせてオレを凝視している。
「兄さんって腰細いよねぇ…」
「しみじみ言うな。じろじろ見るな。髪の毛を触るな」
「いいじゃん。弟なんだから」
「それはお前が言うことじゃない」
「そうかな?」
 ただ言ったという感じの台詞を吐いて、アルフォンスはオレの髪の毛を撫で続けた。一房掬い上げ、耳に引っ掛け、襟足を撫でる。オレはぞくぞくしてきた。だが言わない。負けのような気がする。
 そのうちアルフォンスがまたもや溜息を吐いた。今度は相当深い。
「どうしよー………幸せすぎる………」
「ほんと何なのお前」
 オレは呆れた。アルにも呆れているが、アルが何で幸せだと言ったか、その意味が判っているあまりにも兄貴らしいオレにも呆れた。
「ねぇ、言っていい? 兄さんがボクを恋人として見られないのに、兄さんを好きなボクを傍にいていいって言ってくれただけでも嬉しいのに、こうやって普通に髪の毛とか触っていられるんだよ? 兄さんは本当にイヤならイヤっていうのに。ボク、凄く幸せなんだ。兄さんの傍にいられて。胸が苦しくなるくらい、幸せなんだよ」
 オレはアルの顔を見て胸が痛くなる。アルはとても幸せそうに微笑んでいるのに、どうして泣き出しそうに見えるんだろう。
「そばにいていいって言ってくれてありがとう」
「弟だからな。当たり前だろ」
「……うん。ありがとう」
 そばにいるのが当たり前。それがオレたち。スタンスがどう変わろうとそれだけは変わらない。それを思っているのはもしかしてオレだけかもしれない。アルはいろいろと思うことがあるだろうに、オレの言葉通り傍にいる。噛み付かず吠えもせずに。牙は、だが、隠しているのかもしれない。爪は、まだ伸びていないのかもしれない。ただアルフォンスは幸せそうに笑い、幸せそうに泣くのだ。
「兄さんはどうしてそんなに綺麗なのかなぁ」
「…オレに聞くなよ」
「…まつげも、うわぁ…すっごく長い…目も綺麗…」
「あんま見んなって」
「見たいんだ。いい?」
 アルが体を近付けて来るので、オレはそのままソファにやんわりと倒れ込んでしまった。読んでいた本がばさりとテーブルの下に落ちる。
「おい、アル」
「ああ、ごめん」
 アルはオレに覆い被さったまま腕を伸ばし、本を拾い上げてテーブルに置いた。それからオレの頭の両脇に肘を突く。
 アルが真剣にオレの顔を眺めている。本のなくなったオレはとりあえず視線を天井に彷徨わせてみた。そのうちアルがオレの首元に頭を預け、寝言みたいに小さな声で、でもハッキリと言った。
「…だいすきだよ…」
 アルはまるで子供だ。アルは普段オレのことこそ手のかかる子供だと言うが、こんな時は完全に無防備な子供そのものになる。感情だけでできた生き物になる。オレはアルの背中をぽんぽんとしてやる。子供にはこうするしか知らない。
 それでもアルは望まない。ただ肯定するだけのオレにどう望んでいいのか判らないんだろう。それは可哀想には違わないが、それでもオレだって一杯一杯なのだ。ただ両手を広げて、オレの持つものを見せてやるしかない。オレを見ろ。オレのすべてがここにある。持って行ってくれ。お前に何が必要なのかが判らないんだ。
 アルとくっついた部分が振動した。アルが笑っているのだ。
「ねぇ、兄さん」
「んだよ」
「何かさ……緊張なんかしてないよね?」
「いや。ちょっとしてる」
「何で」
「……お前、何かするつもり?」
「ううん。しばらくこのままでいたいんだけどいい?」
「……どーぞ」
「ありがと……」
 アルはしばらくして身じろぎした。
「あーダメ。やっぱキスしたい。……ダメだー」
「…………」
「でもガマンする」
「……アル」
「何」
「いいぞ」
 アルは何も言わない。聞こえなかったはずがないのでオレはそのまま待ってみた。かなり経ってからようやくアルは口を開いた。
「なんでそうやって何もかも許すの?」
「お前が弟だからだよ」
「判んない。弟だから許せないんじゃなくて弟だから許すの?それってスゴイ…」
「真剣に、お前だからいいと思ってんだよオレは。オレが言えんのはそれだけだ。いくら頭の良いオレ様でもそれ以上は判らん」
「あーあ。やんなっちゃう。とっととボクのこと好きになってよほんと」
「オレだって……好きになりてーよ」
 アルはがばっと身を起こした。オレを真剣に見つめる顔は少し赤い。
「ご、ごめん。……すっごい、ドキドキした。何それ。ほんと?」
 オレは内心しまった、と思った。嘘を吐いてるわけじゃない。嘘をついていたわけじゃない。でも。これ以上何か言ったらどんどん墓穴を掘る…違う。ほだされてしまう。墓穴を掘る、なんて言ったら、まるでそれがオレの本心みてぇじゃねえか。
「おやすみアル」
「は?何言ってんの?ああもう」
 アルは目を瞑って嘘寝息まで立てたオレの首っ玉に抱き付いて喚いた。
「あーもうマジで信じらんない。バカ…こういうこと言うからいつまで経っても諦め切れないんだよもう…バカ。兄さんのバカ。もー大っ好き…」
「好き好き言うなうるさい。頭から離れねえんだよ」
「じゃあ四六時中言います。早くノイローゼになってね、兄さん!」
「お前なあ、それが錬金術師の言葉か?」
 アルは笑っている。どう考えてももう泣いていなさそうだった。最初から泣いてなんかいなかったのだろうけど。
「大好き…ほんとに好きだから。嘘じゃないから。ノイローゼにしようと思ってゆってるんじゃないから。一番好き。大好き…ボクの兄さん…」
 どう考えてもそっちのほうがノイローゼだろう、と心の中で突っ込みながら、全身全霊を傾けたアルの言葉を、熱っぽい頭で感じていた。