男らしい独立と服従、自信と信頼、この四者は相俟って真の男子を作る
――――――ワーズワース
部室のドアの向こうではずんだ足音が聞こえてきた。もう来てくれたのかな、そう思って子津はゆっくり留めていたシャツのボタンを急いで留め、着替えを済ませた。がちゃりとドアを開けて覗かせた顔が、こちらの姿を認めてにっこり笑う。子津も、自然に笑みが零れるのは、抑えられない。
「………お疲れさま。良かったよ。帰ってなくて」
「帰りませんよ、言ったじゃないすか」
そうだね、と牛尾は嬉しそうに笑ってドアを閉める。弾む息を隠そうともせず自分のロッカーに近付く牛尾に、子津は思わず苦渋に似た甘い息を吐いた。
「走らなくても」
あ、と思ったが遅かった。牛尾はちゃんと聞いていて、着替えを取り出しながら微笑んだ。
「君に早く逢いたかったんだ」
………この人は。
知らず赤く染まる顔を窓際に向けて、同じように染まる夕日に隠れてしまえばいいと子津は思った。どうしてこんなに太陽は空を離れたがるのだろうか、いつも帰る頃にはもう真っ暗だ。先に帰ってもらった猿野くん達はもう家に着いたのかな、それともまた道草とか食ってるのかな、何か考え事でもしないとこの雰囲気は、この包み込まれるような沈黙は、落ち着かない。
「子津くん」
振り向こうとして、後ろから抱き締められた。
「……っキャプテン、何を」
「どうしたんだい? ぼうっとして」
「い、いやあの、……何でもないっす、それより」
子津は自分の胸と首にやんわりとかかる牛尾の腕を解こうとして、体重をかけていないのに体全体に広がってゆく牛尾の暖かさに動揺した。
牛尾は子津より頭ひとつ分背が高い。はたから見れば抱き締めたというよりも覆い被さったという方がしっくりくる。だがコンプレックスを刺激される以前に、こんな子供が母親に甘えるような真似をされれば子津はもう何も言えない。
牛尾は抱いているだけで満足らしく、そっと子津の頬に頬を重ねた。その白い頬の冷たさ、滑らかさ、首にかかるさらさらした髪の毛、吐息の熱。
「キャプテン……」
「御門」
「……御門さん、ダメっすよ、こんな」
「イヤかい」
イヤな訳がないだろう! 子津は叫びたい気持ちをぐっとこらえた。そうじゃない。
「貴方は、ずるい」
「そうだね」
「……僕だって、男なんだ、こんな事されたら」
「何度も言ってる。君になら服従できる。自信がある。信頼してるんだ」
子津は牛尾の腕をかき抱いた。窓の外は真っ暗で、時折窓ガラスが揺れる。この時期に吹く風はきつく、どこかで空き缶が転がる音がする。
判っている。僕はこの人が好きだ。どうしようもなく好きだ。こうやって会話を交わしているだけでも貧血を起こしそうなくらい好きだ。僕は子供で、この人は大人で、でも僕より自分勝手で、僕より僕の事を想っていて、そんな事は、この人が一番良く知っているんだ。
「貴方は大きすぎる」
子津はそう言って牛尾の腕に頬を寄せた。
「君だってその内伸びるよ」
「そうじゃなくて!」
「はは、判ってるよ。だから、そのうち、君も、大きくなる」
「そうっすね……」
「じゃないと僕が困る」
牛尾は微笑んで、子津の首筋に愛しそうにキスをした。
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