+受難プリティベイベ+
「柔軟、始め」

 先程までランニングをしていた十二支高野球部の部員全員に踏まれ続けて、グラウンドには結構凄い砂埃が舞っている。グループ毎に別れて円になり、今朝は空気が乾いているんだなと思いながら地面に足をつける。 子津は体の柔らかく無い方だった。だから朝練の柔軟体操には余計に熱心に取り組むのだが、今日はどうもぼうっとしていた。

「いっち、にー、さん、し」
「声出せ、声!」

 別に自分に言われた訳ではなかったが、子津は自分にも戒めなくてはとほんの少し首を振って、気持ちを切り替える。しかし気付くとまたぼうっとしている。ぼうっとしているというより、何か考え事をしている、というか、どういう理由か、意識が自分の体のとある一点を気にしてしまうのだった。

「どーした、子津」
「あ、いえ、何でも」

 見かけによらず目敏い猿野天国が、ニヤニヤしながらこちらを見ている。

「恋煩いですか!」

 子津は、な、とかえ、とか言葉にならない音を発して真っ赤になった。猿野の目が吊り上り、更に下品な笑い方になる。

「そうかそうか〜。最近どーも様子がおかしいと思ったら、そういうことだったのかよ! 何だよ〜、水臭ぇな! 言えよ! アナタの親友、フォーエバーユアフレンド、グレート猿野サマによ」

 グレート猿野様とグレートサイヤマンは似てる。だがそんな事はどうでもいい。何の前フリもなく核心を突かれた子津は少し混乱した頭で必死で考えた。この状況は、誰かが割って入ってこない限り、流せないような気がする。そして子津と猿野が話していて臆せず入ってくるのは兎丸くらいのものだが、あろうことか別のグループにいる。流石に準備運動をほっぽり出してまでボケに入って来てくれはしまい。どうしよう。

「なァおい、誰なんだよ、そのコはよ」
「や…その…だ、誰でもいいじゃないっすか…」
「誰でも良くはねーだろ! せっかくこの猿野様が子津クンの恋愛相談を受けてやろーつってんじゃねえか。ほれほれ、吐いちまいな! もみじおねーたまか? それとも猫ちゃん? ハッ……凪さんはダメだぞ! 絶対!」
「そこ、私語をしない」

 ああ、神様到来。ありがとうございます。僕をこのピンチから救って下さるのなら誰だっていいです。ところで今の声は、

「う…キャプテン…」
「また猿野くんかい。真面目にしている人の邪魔をしちゃいけないよ」

 神様、前言撤回。



 牛尾がこちらに近付いてくる。子津は焦った。ぼうっとしていたのは牛尾の事を考えていたからで、実際に目にすると余計に考え事していた絵が鮮明になる。昨日の夜の、話だ。

「子津くんもだよ。ちゃんと、意識して筋肉を伸ばしているかい?」
「あ……す、すいませんっす!」
「ストレッチに限らず、運動というのはすべて、使っている部分を意識しないと仕上がりも全然違うんだ。習っただろう?」

 牛尾は真剣な瞳をしていた。子津は心から、情けないと思った。……けじめは、付けないと。

「特に子津くんはあんまり体が柔らかくないみたいだからね。ちょっと屈伸してみて」
「はいっす」

 もともと生真面目な子津は、もうすっかりいつもの彼に戻っていた。彼は素直に体を曲げ、その時点で牛尾が言った。

「はい、ここで止めて。……今、ここが伸びてるのが判るかい?」

 牛尾は子津の内脛に手をやった。子津は一瞬びくっとしたが、お構いなく牛尾はそのままゆっくり、太股に向かってなぞっていく。

(ひーっ…………?!!!)

「足を開いた状態で体を曲げると、この辺りが全部伸びるからね。じゃ、僕が触ってる部分を意識しながらもう一度前屈してみて。みんなもね。」

「ウィーッス!」



 ちょっと待って……誰か助けてー! 可哀想に子津はゆでだこのようになって、心の中で絶叫した。

 牛尾が触れているのは、昨日の夜二人で肌を重ねた時に、牛尾が戯れで付けた跡の部分だった。牛尾もはじめのうちはそんな事はさすがにしなかったが、回を重ねるごとに欲張りになるというか、昨日は特にそれが顕著だった。

『子津くんは僕のものだから、ちゃんと印をつけておかないとね』

 牛尾はそう言って、子津自身を愛撫する前に、ちょうど今触れているあたり、太股から内脛にかけてゆっくりと唇の跡を付けていったのだ。哀れなのは子津で、今から直接的な快楽を与えられるという時にそれをされ始めたものだから、彼の我慢強さときたら目を見張るものがあった。

「…………みか」
「子津くん。何か、言ったかい?」

 自分の言葉に覆いかぶせるように大きな声で返されて、子津は今の自分の失言に気付いた。

「な、何でもないっす。……キャプテン」
「そう。じゃ最後にもう一度今のとこね。……みんなも、柔軟体操だけは甘くみてはいけないよ。急激な運動の前には必ず念入りにしておくことだよ」

 牛尾はそう言って立ち去り際、子津の足をもう一度掴んで、耳元で囁いた。

「跡、消したら承知しないから」
「ひゃっ………ひゃいっ」

 子津の返事を聞きとめると、確信犯はくすくす笑いながら去っていった。

「う〜ん、いつもながらキャプテンは厳しいなぁ。……お? どした、子津」
「……………や…………何でもないっす…………」

 耳まで真っ赤になって、カチンコチンになっているその人は、愛されているが故に、そのことを分っている故に、降り積もる受難を振払う事が出来ないのだった。



「猿野くん……キスマークって、どうやったら消えないよーにできるんすか?」
「そんな高等な質問を俺にするなー!!!」












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