君は稀代のポーカー・アリス!
Natur,Natur,Natur!




Good luck,lovers!

 僕は時計に目をくれて、また走る。約束の時間には充分間に合うというのに、この走り難いったらありゃしない人混みの中を突き進む理由なんて、そんなこと、早く子津くんに逢いたいからに決まっている。

 愚問だ。

 付き合いの長い蛇神くんは何も言わないけれど(彼は昔から何も言わない)、最近知り合う知人には同じことを聞かれて、僕は同じことを繰り返す。変なの、バイトが終わって家に帰る頃に彼が帰ってくるなら、それでいいじゃないか、君も彼のバイト先の最寄りの駅にわざわざ行かなくても家に帰ればいいだけじゃないか、なんて、僕は彼らの言う意味が判らない。
 意味が判らないから僕が困った顔をしていると、そんなに早く逢いたいのかと聞かれる。空気が無くなったら困るかい、と聞かれたようなもので、僕はびっくりした。
 躊躇いがちに頷く僕を見て(頷く以外に何が出来ただろう)、愛されてるなーその人、なんて言われたっけな。僕は人の波をすり抜けながら、愛とか恋とかってどういう意味なんだろうとふと思った。どうでもいいけど、そんな事は。そんな事を考えている暇があれば、僕は子津くんの事を考えるよ。

 約束の時間よりだいぶん早くその場所についた。ここにもやっぱりたくさん人が居て、さて子津くんはどこかなと視線を彷徨わせる。僕が早く逢いたいって思ってるんだから、彼はきっともういる。どこかな、じゃなくているかな、とまず思うのが普通なんだろうなと思う。付き合って5年で、ようやく最近こういう考えもできるようになった。彼は僕を裏切らないから、彼を疑う癖が、僕にはまったくない。周りに言われ続けてはじめて、ってところだ。

 子津くんは果たして、そこにいた。僕の顔は緩む(これも最近ようやく自覚したこと)。こんな人混みの中でも、彼はすぐに僕を見付けるだろう。僕は急に何だか惜しくなって身を屈め、立ち止まって彼を見つめる。彼を遠くから眺めるのは、そうある機会じゃない。

 くしゃくしゃの髪、すらりとした長身、遠くからでも幼く紅く見える彼の唇。

 かわいいなあ、なんて思わず口に出た。かわいい。あの髪の毛を撫でたい。僕より少しだけ高くなったあの肩のあたり、手を回して抱き着きたい。かすかにひらく、掠れた声で僕を呼んでくれるあの唇を啄みたい。いつものように。

 ふと子津くんを見る別の視線に気付いた。女の子達4人くらいがひそひそ話。子津くんより僕が近くにいたから話の内容が聞こえる。『かっこいいね』『誰かと待ち合わせかなあ』『横顔とかかわいくない?』『ホントだー。目とか優しそーだし』

 見る目があるね、とようやくそれだけ思えた。僕の子津くんを、これ以上見ないでくれるかい?

「子津くん!」

 近付いてくる僕の方を向いて、子津くんはぱっと花が開くように微笑んだ。

「御門さん」

 この表情。僕は胸が熱くなる。じん、と濡れるようにしびれて、ああ、好きだ、と思う。僕が嬉しそうな顔をするのを見て、子津くんはにっこりと笑ってくれた。待たせてごめん、と言って僕は子津くんの腕にするりと自分の腕を通す。子津くんは少し苦笑して、それでもかすかに、僕の腕を抱き締めた。周りは変わらずざわめいていて、僕達の事を気にかけている人なんていない。子津くんに会えた嬉しさで、あの女の子たちの反応なんて、どうでもいいんだ。

「御門さんてば。見られてるっすよ」
「誰も見ていないさ」

 子津くんは少しだけ困った顔をして、小さな声で、女の子が御門さんを見て何か言ってるんすよと言った。

「僕は気にならないよ。子津くんは、気になる?」
「気になるっす」
「何て言ってるんだい?」
「…………あの」
「はい?」
「…………お似合いだって」

 僕は吹き出して、子津くんを見た。

「アハハハッ、女の子って面白いよね。どう解釈されたのかな。僕が女に見えたか、それとも素でお似合いって事なのかな」
「笑い事じゃないっすよ〜」
「もういいよ、早く帰ろう? 今日もお疲れ様」
「あっ、はいっす、御門さんも、お疲れ様っす」

 急に畏まる子津くんが可愛い。僕はふふっと笑って、彼の腕をひっぱるように歩き始めた。

 今日は近くのスーパーが休みだから、お刺身の美味しいトコまでちょっと遠出しようかな。子津くんを助手席に乗せて、安全運転で、夕方のドライブを兼ねて。僕がそう提案すると、彼はいいっすね、お願いするっす、と賛同してくれた。

 息が詰まりそうな幸福、山に帰る太陽、二人で見る明日の方向。組んだ腕の温もりを感じていられることを、僕は大切にしようと思う。

「ねえ、子津くん」
「はいっす」
「僕は君が好きでどうしようもないみたいだ」

 子津くんは静かに微笑んで、はいっす、とゆっくり言葉を紡いでくれた。











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